あかねの日記

惰性で続けるブログ

定番八割、新しいこと二割

NHKラジオFM「名演奏ライブラリー」の聴き逃し配信を流していると、今回はスペインのチェロ奏者ガスパール・カサドの特集だった。原智恵子という日本人ピアニストと結婚していたそうである。後半は二人のデュオ演奏が流れていた。

Wikipediaから抜粋

原 智恵子(はら ちえこ1914年12月25日 - 2001年12月9日)はヨーロッパを中心に活躍した、日本人クラシック音楽ピアニスト1937年ショパン国際ピアノコンクール日本人初出場者である。

夫はチェリストガスパール・カサド。チエコ・ハラ・カサド(Chieko Hara Cassado)と表記される場合もある。ヨーロッパでは知名度が高かったものの、『原智恵子 伝説のピアニスト』が発売されるまで、日本人のほとんどが彼女の名前を記憶していなかった。

略歴

  • 兵庫県神戸市須磨出身。父の原粂太郎はハーバード大学に学んだ川崎造船所の技師長で、有島武郎有島生馬兄弟の友人。
  • 7歳の時からスペインのピアニストのペドロ・ビリャベルデ(Pedro Villaverde)にピアノを習う。
  • 須磨小学校4年のときに一家で上京。聖心系のインターナショナルスクールで2年間学ぶ。
  • 1928年、13歳の時、有島生馬に随行して渡仏。1930年からインド学者シルヴァン・レヴィの紹介でラザール・レヴィに師事、同年、パリ国立音楽院入学。
  • 1932年、日本人で初めてパリ国立音楽院を最優秀で卒業。同年10月に一時帰国。1933年2月9日日比谷公会堂で初の独奏会を開き、新聞各紙に大きく取り上げられる。
  • 1933年12月、来日中のフランス前文部大臣アンドレ・オノラから才能を認められ、フランス政府の給費生として再びパリに留学。
  • 1937年第3回ショパン国際ピアノコンクール甲斐美和子と共に日本人として初参加[。審査の結果は「Distinctions」となった。この結果に聴衆が憤慨。会場は警官隊が出動するほどの大騒ぎとなり、特例として、彼女に「特別聴衆賞」を贈ることでようやく事態が収まった。聴衆賞の後だし授与はコンクールの全歴史の中、この一回しかない。このころ、留学仲間の池内友次郎から求婚され、これを拒絶している。
  • 1940年、世界情勢悪化のため、やむを得ず帰国。11月25日、留学仲間の川添浩史(本名・川添紫郎、後藤象二郎の庶孫。のちのイタリアンレストラン「キャンティ」創業者)と結婚。当時、川添は定職を持たなかった。
  • 1941年、長男・象郎を出産。
  • 1943年、次男・光郎(のちのキャンティ2代目オーナー)を出産。
  • 戦中戦後を通じ国内で演奏活動を展開。
  • 夫の川添が岩元梶子と愛人関係になる。このため川添から離婚を迫られたが、1958年12月3日、川添との離婚が成立しないままイタリアに行き、フィレンツェチェロの巨匠ガスパール・カサドと同棲。
  • 1959年4月26日、カサドとの婚約を発表。まもなく川添と離婚。1959年5月9日、カサドと再婚し、イタリアに定住することを決める。このとき、二人の子供には予め「演奏旅行に行く」としか伝えていなかったため、「子供を捨てた母親」として日本でスキャンダルとなった。以後、ヨーロッパを中心にデュオ・カサドとして、またソリストとして活動した。
  • 1966年カサドと死別。以後、日本でカムバックを図るが失敗し、楽壇で孤立し、アルコールに溺れたこともある 
  • 1984年2月16日、自らの不注意から東京で自動車にはねられ負傷。手に後遺症が残る。以後、字を書きにくくなるなどの症状に悩むようになる。
  • 1990年、体調を崩し日本へ帰国、そのまま療養生活に入る。
  • 晩年は脳血栓の後遺症で言語障害となる。2001年12月9日夜、老衰のため東京都青梅市の病院にて逝去。葬儀の喪主は前夫との子・川添光郎が務めた。

たしか前にも調べたことがあると気付いた。ピアニスト中村紘子の著書『ピアニストだって冒険する』に出てきたはずだ。文庫本が残っていたので確認したところ、「フィレンツェの貴婦人」の節にエピソードが載っていた。

中村さんと晩年の原さんは同じマンションにお住まいだったそうだ(原さんの調子が悪く会う機会はなかったが)。中村さんが初めて原さんの演奏を聴いたのは、小学校の校内演奏会とのことである。原さんの息子二人が同じ小学校に通っており、PTAのピアノ演奏に出演してくれたそうだ。豪華すぎるゲストである。そのときのエレガントさに呆然としたこと、後にフィレンツェで再開したときの貴婦人さに圧倒されたことがつづられている。まあ城に住んでいると言われれば驚く。

 

詳しく調べないままでいたけれど、思いがけず美しい音色に出会えて驚いた。息がぴったりの演奏だった。

気になったことでも放っておくと忘れてしまうので、再び出会えそうな機会を作るのはいいなと思った次第だ。定番八割、新しいもの二割くらいで聴くと、お気に入りを楽しみつつ面白い物も見つけやすい。

原智恵子の伝記は読みたい本リストに追加しておこう。