あかねの日記

惰性で続けるブログ

おばあちゃんの存在感

羽田空港の衝突事故。立ち上る煙をベランダからも確認できた。

夫と娘は事故よりも前に着陸していたため、混乱に巻き込まれることなく家まで帰ってこれた。ニュースを見たときは冷やっとした。同じように肝を冷やした方も多いだろうと思う。影響を受けた方々が、少しでも早く安心できる場所に落ち着けますように。

 

夫と娘が戻ってきたとたん、静寂の空間から普段の生活へと一気に引き戻された。久々に三人での夕食。娘からは、餅をついた、ひいおばあちゃんに会った、畑に行った、山に行った、いちご狩りに行った、おせちを食べた、猪ハンバーグを作った、姪っ子甥っ子がかわいかった、犬と遊んだ、猫にちゅ〜るをやった、など多くの土産話を聞かせてもらった。私からは、妹にご飯を作ってもらった日々を写真とともに報告した。

夫実家または私実家からの帰省後、たいてい娘は悲しくなって泣いているが、今回は平気そうな素振りをしていた。しかし、夜寝る段になって悲しさが込み上げてきたらしい。一緒に布団に入り、娘の話を聞く。

私実家に滞在中は、毎夜寝るまでおばあちゃんが付き添ってくれたこと。最初から最後まで楽しかったこと。おばあちゃんと一緒に居るだけで嬉しかったこと。帰りたくなかったけど体が動いて飛行機に乗ってしまったこと。もっと一緒に居たかったこと。おばあちゃんが大好きなこと。そういうことをつらつらと話してくれた。夏休みも夫の実家から帰りたくなかったという内容にまで話が及んだ。

娘は、母方のおばあちゃんのことも、父方のおばあちゃんのことも大好きだ。また、私の母も、夫のお義母さんも、娘のことをとても大切にしてくれる。娘が泊まりに行ったときに相手をするのは大変だろうけれど、手間暇かけて楽しい時間を過ごせるようにしてくれるのだ。娘が何のてらいもなく大好きだと表現できる相手がいて、その人たちが娘に愛情を注いでくれる。こんなに嬉しいことはない。

おばあちゃんはお母さんのことも大好きなんだよ、とも娘に言われた。母は何があっても私のことを大切に思ってくれるだろう。また、娘は私のことを大好きだと言ってくれる。それはその通りなのだろう。一方で、私が二人に対してそこまで大きな感情や実際の行動を伴っているのかというとそうでないようにしか思えなくて、その非対称な状態を少し後ろめたくも思う。私は薄情な人間だ。しかし、母のことも娘のことも大切だとは思っている。そのことだけは娘に伝えておいた。

しかし、こういう時におじいちゃんの話は全く出てこない。おじいちゃんのことが嫌いなのではなく、おばあちゃんの存在が大きすぎるのだと思う。まあ、私の狭い見識の範囲内では、おじいちゃんなんて自分の都合の良いときしか孫の相手をしないものだ。