あかねの日記

惰性で続けるブログ

自分にできること

昨年うつ病で寝込んでいたとき、たまに小さな地震による揺れを感じることがあった。今大地震に襲われたら、自分は何もできずに死ぬんだろうなと考えた。まともに動けなくて逃げられない。逃げることさえ放棄したいくらい動くのが面倒。逃げたとしても周りに迷惑をかけるだけ。

そんな思いをされている方が今現実に居るのだと想像すると、無責任ながらも一日一日をどうにか生きのびてほしいと思わずにはいられない。

ボランティアできるほどのスキルも体力も行動力もなく、もし手伝いにいったとしても逆に自分がお世話されることが目に見えているような私のような人間にとっては、普段通りの生活を送り、しっかりと働いて税金を納め、それとは別に寄付も行い、被災した方々が戻ってこれるように社会を維持していくことが一番の貢献になるはずだと考えている。

 

そんな私の一日。

お昼前、妹は我が家を後にした。「帰りたくないよ~」と帰省先からの帰宅を拒む娘のようなことを言いながら。この年末年始の共同生活がかつてないほど穏やかで楽しかっただけに、私も終わってしまうのが名残惜しかった。

一人になった午後。久々に米原万里『打ちのめされるようなすごい本』を手にとった。斎藤美奈子『本の本』と合わせて、私の中の二大書評集である。紹介されている本は年を追うごとに古くなっていくが、その見識の広さと教養の厚さと洞察の鋭さからくる物事への道筋の通し方は、現在の事象を読み解く上でもちっとも色あせないものだと読み返すたびに思い知らされる。米原・斎藤の間に直接面識はなかったとのことだが、それぞれの書中からお互いをリスペクトしている様子が伝わってきてファンには嬉しい。

私が米原万里を意識したのは、その訃報によってだった。著作を一通り読んでみて、今まで知らずにいたことを悔やみ、もう新作は出ないことを惜しむのみだった。もし今の世の中と、数多に出版される本を前にしたら、どんな本を選び、どんな書評を書いてくれただろうか。

『本の本』『打ちのめされるようなすごい本』を見ていると、昔は気にも留めなかったのに今になって読みたくなる本が次々と出てくる。調べてみると絶版になっている本も多い。すでに二十年近く前だもんな。図書館の蔵書検索にも引っかからないものは、ネットで古本を注文した。

夕方には夫と娘が帰ってくるはず。お土産話を聞きたい。