あかねの日記

惰性で続けるブログ

励まし励まされ

立て込んでいた火曜日。始業前から始業後まで仕事。ペース配分を間違えていた自分の責任。

夕食は娘と二人で適当に済ませた。保存してあった昨日のトムヤンクンとカオマンガイ。食事を手早く作るにはそれなりの下準備が必要だが、そんなところに気を回す余裕はない。

夕方に仕事をしていると、帰宅した娘が部屋のドアを開けて「ただいま。お仕事がんばってね。待ってるよ」と励ましてくれる。仕事を終えたあとリビングに行くと、「おつかれさま。お母さんは頑張っているね」と労ってくれる。優しい。頑張っていないときもあるんだけど。

私からは片付けと宿題と翌日の準備をしておくよう娘に伝え、娘は「分かった」と返事をするが、やっていることもあるしやっていないこともある。「できない」とか「やりたくない」とか言っているときもあるが、基本的に一緒にやってほしいだけの場合が多いので、家事をしながら適宜会話しつつ見てやる。面倒に感じることもままある。

娘に対して、ちゃんと問題を読んで欲しいとか、何度も言っているので覚えて欲しいとか思うこともなくはないが、それと同時に娘のペースでできることを増やして欲しい、できるようになる楽しさを感じて欲しいとも思っている。できていないことについつい気を取られてしまうが、優秀になることや卒なくできるようになることが目的ではないのだと、できなかったことができるようになったと嬉しそうに話す娘を見るたびに思い出す。

たまに「何で勉強やピアノをしなければならないのか」と娘に尋ねられたとき、将来の選択肢が広がること、好きなことをやりたくなったときに役立つこと、時間をかけなければできるようにならないことがあること、その方法や過程を知ってほしいことなど最もらしい話をしているが、娘に自信を持てるようになって欲しい、悲しい思いをして欲しくないというのが大きいような気がする。

将来娘に「勉強しろと言って欲しかった」と言われるよりも、「勉強しろと言われてばかりだった」と言われる方を私は取る。他にも自分の向き不向きを悟って、向いていないことはさっさと止めるという選択もあることを学んで欲しいとも思っている。苦痛なことを延々と続けるのは、時間と金と労力の無駄すぎる。

娘が私を励ましてくれるように私も娘を励まし、できるできないか以前に娘が大好きだということを常日頃から伝えるようにしている。早よやらんかいと衝突するときもあるが、衝突しないようにするのではなくて、衝突しても仲直りできること、衝突できる元気があること、そうできるだけの安心感を持っていることが大切だと実感させられる。この家が娘の存在を全肯定する場所でありたい。

それと同じく、できない自分を否定するのではなくそういうときもあると捉え直す、ネガティブな感情を持たないようにするのではなく一旦認める、といったことも自分を追い詰めないために大事だなと思う。今日は頑張った!すごい!と自分を労うようにしたい。