あかねの日記

惰性で続けるブログ

こんな大人です

自分も大人になったなあと実感がわき始めたのは、周りの人を頼ってもいいと気づいてからだ。

 

これまで本ブログでたまに書いてきたが、私の父は人格も人間性も問題アリアリで、自分本位で意地が悪く、無遠慮かつ無神経、思い出すと腹が立つので具体的なエピソードは割愛するが、「誰に食わせてもらってると思ってんだ」と常日頃から陰に陽に当てつけてくる人だった。農業とかも手伝わされるし。

そんな環境で育ったので、私の方も物心ついたころから「さっさとこんな家出て行って、一人で生きていけるようなってやる」と決意を固くするのは必然のこと。ちゃんと勉強して、もっと選択肢のある都会に出て、勉強したいことをさらに勉強して、自分がやりたい方向で自分なりのやりがいを見い出せる仕事に就いて、一人で生きていけるくらい稼げるようになろう、という目標を定められた点では良かったかもしれない。

 

そんなこんなで進学し就職し、表向きは一見順調だったが、裏では摂食障害になったり鬱になったり何かに依存しまくったりしていた。総括的には超低空飛行だが、行動面と情緒面では極端かつ変動が激しく、穏やかな気持ちで過ごせた日が思い当たらない。楽しいことや嬉しいことがなかったわけではないが、いつも不安と憂鬱がセット。

一人で生きて行けるようにならねばと肩肘張って見栄張って、困っていても他人に弱みを見せず誰にも相談できずにいれば、そんなことになるのは当たり前である。それでも誤魔化し誤魔化しやってきたのだが、やっぱり産後鬱のときと二年前鬱になったときは、普段の生活がにっちもさっちもいかなくなった。周りに頼りまくり、自分の考え方を構築し直さざるをえない。そんな状態にならなければやらないという。でも、もう限界だとやっと言えたと思う。

 

今は自分の食い扶持を稼ぐという点では一人で生きていけるようになったと言えるが、それも周りの人たちの助けがないと絶対に成り立たない。再び働けるようになっただけではなく、それなりに平穏な毎日を送れていると言えるようになったのは、いつも支えてくれる人たちのお陰だ。

主には夫(の割には扱いがぞんざい)、妹(安心できない実家にいた頃は自分の利権を守るため諍いが絶えなかったが、お互い独立し実家を見限ってからは貴重な同士)、何かと心配してくれる実家の母(父の癖が強すぎるため母が諌めでも意味を成さないことが多いが、ちょっと天然なだけで悪い人ではないし楽しく生きてる)、ピンチの時に助けてくれたお義母さん(ぶっちゃけ超迷惑だったと思うけど、そういうことを私には絶対言わない)、休職したときの上司(ぶっちゃけ超迷惑だったと思うけど、いつでも優しさが根底にあって尊敬しかない)、もっと挙げれば切りがない。

よく自己啓発本や心理学読物で言われていることではあるが、自立かつ自律して生きていけるようになるとは、助け合って生きていく術を身に付けることだと身をもって学んだ。それまでは自分のことをいつまで経っても安定しない駄目な人間だと思っていたが、周りを頼れるようになってから、またそのためのやりとりをできるようになってからは、自分も大人になったもんだと感じ始めた。これからやっていけそうな自信も、やっていこうという責任感も、初めて持てた気がする。

 

ちなみに、子どもの頃から「かわいいお嫁さんになりたい」とか「温かい家庭を築きたい」とかいった希望は特になかった。まずは一人で生きて行けるようになることが最優先。それでも、他人と一緒に暮らすなんて絶対無理だと思っていたのに、何の因果が害のなさそう人がいたので適当に結婚し、まあ産めるなら産んどくかって感じで娘が産まれた。皮肉なことに、今では二人がいないとまともな生活が送れないこと必至なので、人生何がどう転ぶか分からない。

やる気の足りない様子ばかり書いている本ブログだが、働いたり遊んだりごろごろしたり、自分なりにバランスを取りながら生活している実態がこれです。子どもの頃に想像していた大人とは違うけれど、これはこれでしょうがないと納得している。

誰に食べさせてもらってるんだと言われず、自分で稼いだお金を何にどう使うか自分で考え決められることは、とても自由だと感じる。

 

明日は風が強くて寒くなるそうですが、成人式に行かれる方は(たぶんこんなブログを見ていないと思いますが)どうぞお気をつけてお出かけください。引き締められる気があるうちに、気を引き締めておくのがよいと思います。ダブルスコアの近い大人になると、締めようにも気力がなくなるので。

もしお子さんが成人される方がいらっしゃいましたら、ひとまずおつかれさまでした!私もあと十年くらい頑張ります。(今の成人式は十八歳なのか二十歳なのかよく分からない...)

 

今週のお題「大人だから」