あかねの日記

惰性で続けるブログ

やっていけると思う感覚

今週の平日は、出社以外はほぼ外に出なかった。ベランダで洗濯物を干したくらい。仕事でなんやかんやとやることが出てくると、昼休みや定時後の時間をちょっと削ってでもそちらの対応を優先してしまう。昨日は暖かかったので長めの散歩に行った。今日は冷えるので家に引きこもり。

生理中はわざわざ外を歩き周りたくなるような体調でもない。バファリンを飲んでおけば腹痛は抑えられるが、頭が回らないのや身体に力が入らないのまで治まるわけではない。全体的に怠い。あとやたらと眠い。

運動不足解消と気分転換のために散歩はしたいが、体調不良のときに無理してやることでもないかなと思う。普段の筋トレとストレッチも同様。以前はスキップすることに対する罪悪感や、休むことなくやらなければならないという強迫観念が強かったが、うつ病真っ最中は有無をいわさずできなくなったことにより、休んでも悪いことは起こらないし、できる時にやればよいのだという認識が形成されてきたように思う。

何でそんなに強迫的になっていたかというと、体重が増えることに対する恐怖感があったからだ。実際に太るわけではないし、身体の怠さと巡りの悪さで一時的に重く感じるだけなんだけど、どうも不安と心配に苛まれるというか。数日間だけのことなので大丈夫だと、今でもその都度確認している感じだ。

食べることも同様。基本の食事量(栄養バランス含む)は、自分の必要量と満足量と許容量からざっくりした目安ができているので、なるべくそこから逸脱しないようにする。でもイベントのときはちょっと偏るし、いつも万全というわけではないので、胃が疲れていたらちょっと減らすし、回復してきたら元に戻す。そのとき焦らなくても大丈夫だと分かってくる、同時に自分でゆるくコントロールできる感覚をつかめてくると安定する。(その過程で無駄に振り回されないように、体重計を処分したのだ。)

自分の性格が大きく変わったわけではないし、根本的な解決はなされていないように思う。しかし、摂食障害や不安障害の多くの本で語られているように「自分がやっていけると思う感覚」を育てていくのは大切だと感じる。

 

自分のルールが崩れやしないかというのをまた心配しているわけだが、老いない人はいない、時間の流れには逆らえない、私もこのまま生きていけばカンタのばあちゃんや大ババさまやヒイさまや湯婆婆のようにしわくちゃでずんぐりしたババアになるのだと思うと、まあ仕方ないわなと思えてくる。ヒロインなんか通り越して、理想のババアが気になる年頃だ。

自分をケアすることは見た目に影響してくるが、見た目が変わるからといってケアすることを放棄する必要は無い。変わるのが怖いからといって、美容に手間暇掛けて金と時間を注ぎ込む必要も無い。気分良くいられて、そんなに面倒でないことを、好きにやればいい気がしてきた。癒し系でも系でもパワー系でも、軸のあるババアは格好いい。

妹は「かわいいおばあちゃんになりたい」と話していたが、私は「図太く動じないババアになりたい」と答えておいた。