あかねの日記

惰性で続けるブログ

変わらないために変わる

「これをきっかけとして自分が大きく変わった」と言えるようなことが特に無い。

進学したり就職したり、本を読んだり旅したり、結婚したり子どもを産んだり、仕事が増えたり鬱病になったり、それなりに色々あったような気がするが、自分が大きく変わったというのは無い。

逆に、何が起こっても自分は自分、良くも悪くも根本的なところは変わらない、ということが分かっただけだった。

結婚して生活パターンは変わっても、自分の考え方が変わるわけではない。

子どもが生まれても、子どもがいるからとか、子どものためにとかは、基本無い。

楽しいことも辛いことも、頑張るときもそうでないときもあるが、自分が選んだんだからしゃーねーなというのが大前提としてある。

自分本位で自分がそうしたいから。どこまでいっても自分ファースト。

 

それに少し関連して、「ワーママ」という言葉を自分を含め特定の個人に対して使うことに抵抗がある。

ざっくりカテゴリ分けするためには大変便利な言葉であるが、「ワーママ」というラベルを個人に貼るのは雑だと思う。「ワーママ」以外の面がばっさり切り落とされてしまう弊害の方が大きい。(とはいえ、便利で分かりやすいからタグとして使っているという人を非難する意図は全く無い。)

HSPが調査・実験を行う際に特定のクラスタに付与される名称で、個人に下される診断名ではないのと同じように、ワーママもマーケティングの際に働く子持ち女性のクラスタに付けられるタグで、個人に当てはめるものではないのではと考えている。

 

私は仕事で長年リクルータを担当していることもあり、仕事紹介資料の作成や、セミナー・説明会への登壇に、これまで幾度となく対応してきた。元々極端に女性が少ない職種であり、子持ちとなるとさらに少ないため、回ってくる確率も高い。つまり、子どもがいても働いている女性の例として取り上げられることが少なくない。これはなかなか困る。サンプルが少ないと自分の責任も重たく感じる。

社員紹介ページに「子どもがいても働きやすい」的なタイトルを付けられそうになったときは、仕事面にフォーカスしたタイトルに直してもらった。こちらの意見を尊重してくれる編集だったのはありがたかった。見る人も聞く人も、まず知りたいのはたぶんそこじゃない。そういうのは、制度を利用するに当たり文化的支障がないことを、本文の最後にちょっと付け加えておけばいいと考えている。

育休後はフルタイムで復帰し、打合せや出張NGというのもできるだけやらないようにしてきた。ちなみに、無茶な働き方を強要するような職場でも、マミートラックにはめ込もうとする職場でもなく、どうしたいのか希望を確認してくれるホワイトな職場だった。要は、自分が働きたかったから。私は普通に仕事がしたかったのだ。子どもがいるというのも、自部署以外には基本伝えないようにしていた。気遣われると自分がやりにくくなるから。(もちろん人それぞれです。)

ママという切り口だけではないときにそれに押し込められそうになるのが不本意というのもあるが、元々私はママにコミットしたいという意識が低く、実際にママといえるほどママを頑張っていないというのも違和感の理由である。そして、私は「ママ」でなく「お母さん」と呼ばせる派であることも、自分とは関連が薄いと思いがちな要因である。

 

そんなふうに変わらないでいようとしていたが、全く変わっていないのかというと、そうでもない。

環境に合わせて、習慣や振る舞いが変わったというのはある。

失敗して上手くいかなくて、認識や行動を変えざる得なかったというのもある。

変化のスピードがゆっくり過ぎて、変わったという認識がない可能性もある。

何かに抗って、上手くいかなくて、でも結果的には妥協を受け入れられるくらいにはなっていることもある。

たいてい上手くいかないときというのは、自分には向いていない型に自分を無理矢理押し込めようとしたときだ。

自分が固執していたことがそれほど重要ではないことに気付いて、馬鹿らしくなるときもある。

相対的にみると変わっていないけれど、これからも変わらず自分でいるために、何かを取り入れたり捨てたりして変わる、そんな面がある。

いきなりコペルニクス的転回が起こって自分の人生が大きく変わるなんてことは無かったし、一大決心をして自分を変えるということも無かった(というかできなかった)けれど、今生きていけるようにしていく、それができれば御の字なのではないかと思う。