あかねの日記

惰性で続けるブログ

桜を見に行く場所

娘を出産した病院の横に、桜並木の公園がある。毎年決まって桜を見に行く場所だ。

出産した年は、入院のときに咲き始めだった桜が、退院のときはちょうど見頃を迎えていた。退院手続きを終えたあと、桜の下で写真を撮った。目の周りに深いくまのできた私と、とても小さい娘が写っている。

このときは娘が泣き出さないかずっと心配で、すぐに横になりたいくらい疲れていた。そのうち育児に慣れるだろうと考えていたが、完全に甘い見通しだった。産後うつというとんでもなく酷い目にあうとは思いも寄らない。

睡眠不足と栄養失調、増すばかりの体の痛み、子どもの世話がどんどんできなくなって「自分はもう使い物にならないのでこの世から消えたい」という絶望感で一杯だった。写真を見るとこの時の感覚を少し思い出して、昔の自分がかわいそうなる。

 

それでも病院横の桜を見上げていると、あれからよく生き延びたとだいぶ遠くのことに感じる。今年の始めもうつで落ちていたが、産後に比べるとかわいいものだとしか思えない。

調子が良くなると「辛くて苦しかった出来事」は覚えていても、「辛くて苦しい気持ち」そのものは薄れてくる。でも自分が気付かないだけですぐそばにいて、無理を続けているとその存在をアピールし、忘れないよう警告してくる。良き隣人であるには、時にぶつかり合うこと前提で継続的に関係構築することが避けられない。

うつの発症要因は性格・体質・環境いろんことが絡まっているだろうし、原因ははっきりわかっていないとされている。パワハラ・セクハラ等の場合はご本人はもちろん悪くない。私の場合、自分の性格からしてどこかでうつにならざるを得なかったと思う。ならずに越したことはないだろうけど、そのお陰で今がある部分もある。ならなければよかったとは言い切れない。

こうして何年か通して見たとき、どうにかなって良かったと振り返られるのは幸せなことかもしれない。また次の桜を明るい気持ちで迎えられるようにしたい。