あかねの日記

惰性で続けるブログ

私の直木賞黄金期

今週のお題「何して遊ぶ?」

ゴールデンウィークは読書の予定だ。最近は遠ざかっていた作家の作品を読もうと思い、図書館で借りてきた。今回はそれにかこつけて、私が昔よく読んでいた作家の話をしたい。

主に、桐野夏生宮部みゆき、髙村薫のことである。このお三方が直木賞を受賞された1990年代が、私にとっての直木賞黄金期だった。その後はそろって審査委員を務められている。どんな話をしているのだろう?すごい会議になりそうだ。三浦しをんも審査員の一人だけれど、こんなところに放り込まれて恐ろしいのではなかろうか。

 

最初に直木賞を認識したのは中学生になってすぐの頃だった。ちょうど1999年上期の受賞作である桐野夏生『柔らかな頬』が話題になっていた時期である。町の図書館で借りて読んだ。それまで学校の図書館に置いてある国内外の名作や推理小説、また、森絵都荻原規子あさのあつこ等の作家を主にしていた私にとっては、衝撃的な作品だった。何だか複雑で意味の分からないものに出会ってしまった感覚である。(後々、それは桐野夏生の作風に寄るところも大きいと気付いた。)

それでも分からないからこそ気になるもので、過去の直木賞受賞作をたどり、それら作家の他作品にも派生していくようになった。また、直木賞日本推理作家協会賞どちらも受賞している作家が割と多いので、そのあたりも参考にしながら次々と読んでいった。

その中でもやはり面白かったのは、押しも押されぬ人気作家である宮部みゆきだ。現代もの、ミステリー、ファンタジー、SF、時代小説、何でもある。今思えば、話の筋が通っていて、読後感もよいため、十代前半でも入りやすい。さらに、登場人物は犯人でも荒くれ者でもどことなく上品で、行儀の良い作風だと感じる。(それが現在遠ざかっている理由の一つではあるが。)『ドリームバスター』シリーズの続きを待っていたけれど、もう出ないのだろうな。

一方、硬派で骨太なのが髙村薫。社会派の作家と言われている。同じシリーズでも作品ごとに雰囲気が大きく異なる。扱う題材が難しいため、時代背景や基礎知識を調べながらでないと状況が分からないことも多々ある。寡作なため新しい本はめったに出ない。しかし大作なので読むには根気がいる。長年にわたり時事批評も書かれており、この方がどんな意見をお持ちなのか気になっている。

 

宮部みゆき作品は読みやすいので、たまに古本屋で買うことがあった。しかし桐野夏生高村薫は2010年前後から読んでいない。興味のあるジャンルの移り変わりに伴い、だんだんと遠ざかってしまった。

最近になって、桐野夏生のぶっとんだ登場人物や、髙村薫の緻密な構成をまた読みたいと思い始めた。作品が書かれた当時の作家の年齢に、自分が少し近づいたからかもしれない。今だからこそ思うことが出てくるのではないかと感じている。