あかねの日記

惰性で続けるブログ

気の抜けた休日

五月の爽やかな晴れの日。

午前中、夫は出掛け、娘は学校。自分一人の時間は完全に気が抜けている。ごろごろしながら本を読み、いつの間にか寝ていた。

午後は夫が帰ってきて、昼食がてら最近の仕事の繁閑や通院の様子、町内会や役員はやってみると面白いなどの会話をした。休職二カ月、復職して二カ月。今のところは調子を保ちながら毎日を過ごしている。他には「絶対に頑張っては駄目だ」と言われた。仕事のこともあるが、私が読書にのめり込んでいないか心配だったようである。まあ読書は完全にマイペースだ。あとは多少は没頭できることのある方が気が紛れる。

しかし、休みに入って「夜眠るのがもったいない」傾向が出ているのも事実だ。朝は頭が回らないし、悪夢しか見ない昼寝をしてしまう。今夜は眠気に抗わず、大人しく寝てしまおうと思う。

 

先週から続くゴールデンウィークも、早くも半分が過ぎようとしている。「まだ半分」よりも「もう半分」という気持ちの方が強い。休み前から考えていたように、めいっぱい有意義な休暇にしたいわけでも、やらなければならないことがあるわけでもない。勉強しておきたいことはあるが、この休み中に焦ってやらなくてもよいかと思っている。休み明けの仕事がめちゃめちゃ気が重いということもない。後半も、何かするもよし、しないもよし。それで十分。

最近読んでいる髙村薫さんのことを改めて検索し、うつを患っていたという記事を読み返した。以下に書かれている対処法には納得である。いろんなことを放り出して、ぼんやりすること。とにかく頑張らないこと。体を動かすこと。

 

bunshun.jp

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髙村 実は私、もう2年ぐらい鬱なんです。鬱はいつどこから入ってくるものかわかりませんし、自分で選び取るものでもない。でも、ある日気がつく。「ああ、これ、たぶんそうだな」って。

髙村 私の場合、原因がはっきりしているんです。四半世紀一緒だった仕事上のパートナーが亡くなりましてね、突然病気で。ブックデザイナーの多田和博さん(18年没)。多田さんはずっと私の本を作ってくださって、二人三脚だった方なんです。

 傍から見れば、仕事上のパートナーが亡くなったというだけのことかもしれません。でも、私の中では、ある日どうしようもない穴があいてしまった。他人にはわからないけれど、私の中ではそれがわかる。

 ですから、いま、死にたいと思っておられる方に「どうして?」って聞いても他人にはわからない。その人の中で、とにかく穴があいてしまうし、穴があいてしまうと、どうにもこうにも埋められない。そっとしておくことしかできないんです。まさに日にち薬で、1年、2年とそっとしておく。そっと、そっと、生きていく。

 やっぱり、自殺してしまう方というのは、真面目で、一生懸命頑張ろうとする人です。その穴から出ようとして。自分が鬱だなと思ったら、いろんなこと放り出して、ぼんやりすることだと思っています。

岡村 もどかしくはあるけれど、解決するのは時間しかない、と。

髙村 実は私、鬱になるのはこれで2度目なので、それがよくわかるんです。最初の鬱は、母を亡くしたときでした。あんなに大っ嫌いな母だったのに、亡くなったらやっぱり、自分の中にものすごく大きな穴があいた。ちょうど阪神淡路大震災と重なったんです。

岡村 1995年、ですね。

髙村 そうです。震災と母の死が重なって鬱になった。だから、よくわかるんですが、とにかく頑張らないことだと思いますね。

 

岡村 髙村さんの場合、具体的な症状というのはどういう?

髙村 とにかく何もやりたくない。やりたい気持ちが起こらない。いろんなことに興味がなくなる。つまらない。動きたくない。出かけるのも嫌。そういう状態です。今回、少し軽くて済んでいるのは、何かを頑張っているからではなく、体を動かしてるからだと思います。

岡村 どんなことを?

髙村 私は馬です。乗馬。何も考えないで馬に乗るだけ。そうすれば何も考えずに済むんです。何も解決しませんけどね。