あかねの日記

惰性で続けるブログ

暑い週末は家で読書

外に出る気などきれいさっぱり消え失せる暑さ。運動不足なので散歩に行きたいという考えも、あっさり方向転換した。

お昼は無印良品北インドカレーセットに、熟成チーズやガラムマサラを投入して食べた。ついでに冷凍庫にあったナンも焼いた。夜は冷やしぶっかけうどんの予定。複数種類の冷凍うどんが半端に残っているので、さっさと片付けてしまおう。完全なる夏メニューになっている。

以下、週末の読書の記録。

慈雨

夏の文庫フェア(集英社)で毎年のように取り上げられているので、今年こそ読もうと図書館で借りた。

装丁画の印象からハードボイルドな刑事物を想像していたが、実際は元刑事のお遍路探偵物語といったところ。

定年退職した元刑事が、糟糠の妻とともにお遍路を巡りながら、現在進行形の事件にアドバイザー的な立場で関わりつつ、大きな悔恨の残る過去の事件にも対峙していく。

道中での心の葛藤、徐々に明らかにされる家族の事情、現在の事件の捜査状況、それらが立ち代わり現れテンポよく読める。絡まった糸がほどかれていく課程はおもしろかった。ただし、端々で熱いセリフが発せられ、火サスっぽい感じがしなくもない。

お遍路日記的な要素はとても勉強になった。お寺で騒ぐのはよろしくないな。もし行くことがあれば気をつけたい。

摂食障害のすべて

いちおうすでに治ってはいるが、摂食障害の本は断続的にチェックしている。

理由として、一つ目は「あのころの自分がなんだったのか」を考えたいから。二つ目は、摂食障害をとりまく近年の状況や、新しい考え方を知りたいから。三つ目は、これからも日常を生きていく上で「忘れがちだけど大切なこと」を思い出す機会がほしいから。

短くまとめると、「過去の経験を未来に活かしたい」といったところだ。

本の内容について。タイトルは『摂食障害のすべて』となっているが、摂食障害について網羅的に解説している本ではない。帯に「50年間の臨床実験の集大成」とあるように、「著者の自伝+摂食障害治療の歩み+研究成果のまとめと提言」的な内容になっている。また、今まさに悩みを抱えている当事者向けというよりも、患者の家族、医療従事者、この分野の情報を押さえておきたい人向けの本だと思う。

 

摂食障害の社会文化的要因(1章)」では、筆者の考える摂食障害の増加要因について語られる。大きく四つあり、①飽食の時代という背景、②若者のストレスに対する耐性の低下、③やせをよしとする文化、④そしてその結果、葛藤を処理する手段として過食・拒食が用いられている、というもの。

「衣食は足りて、礼節が失われている」「人を強くするには、ハングリー精神が必要」「今日の若者はストレス耐性が低下している」といった精神論的な発言も挟み込まれてくる。そこは、「ハングリー精神を発揮しても報われない状況にさらされている」「対処しきれないほどストレッサーが複雑化している」とかではなくて?当事者は頑張った挙げ句にどうにもならなくて、自分はダメだと思い悩んでいると思うのだが。

一応、「こんなことばかり言っていると、私も古いといわれてしまうのでしょうか」とご自覚はある様子。ま、私も社会や環境のせいにしていると、無礼でやる気のない甘ったれた人間だといわれてしまうのかもしれない。間違ってないけど。

 

摂食障害の歴史(2章)」では、摂食障害が医学に登場してから今日に至るまでの歴史と、最新の診断基準が設けられるまでの経緯が述べられる。

たいていの治療本では冒頭でさらっと説明される程度なので、この本で詳しく知れたのは勉強になった。

 

摂食障害の症状(3章)」と「摂食障害の患者の心理(6章)」では、著者の診てきた症例を挙げながら、患者の主な症状や心理状態について解説している。

事例には「私もその通りだった」と思う行動や考え方がある一方、「それはよく分からない」という点も同じくらいあった。また、私は食行動は治まったけど、認知の歪みは残っていることにも気付かされる。

あとは、未だに改善されていない症状(低血圧、貧血、寒さに弱い、乾燥肌、体力不足など)があるなと思った。これまでの摂食障害、産後の栄養失調、うつによる食欲不振を経て、栄養素を取り込みにくい体に非可逆的な変化を遂げてしまったような気がしている。ただの老化かな?まあ、それなりにやっていけるのなら、それでよいのかもしれない。

 

摂食障害と家族(4章)」では、摂食障害の患者はよい子が多いのが特徴であり、その問題点とは何かを検討している。

続く「摂食障害の治療(5章)」では、筆者が長年取り組んできた「集団家族療法」が紹介されている。ざっくりいうと、他の患者・家族と一緒に研修やワークショップを受けることにより、回復に向けた相互作用を生み出していくというもの。最初は食の問題だと捉えていた家族が、実は心との問題だと気付き、まずは自分自身が変わっていく様子が印象に残った。

思春期の発症が多いので、家族と言えば父か母となり、その関係を再構築していく場合が多そうに見える。結婚していれば、両親ではなく夫になる場合もあるだろう。家族療法という名称ではあるが、家族に限らず信頼できる人との関係を築き、そして自分を信じられるようにしていく(自尊心を上げる)ことが結局は大事なのだろうと考えた。

その他、治療について納得した部分をいくつか。

  • 摂食障害の場合、患者は治したい気持ちと治りたくない気持ちの両方が存在する状態で、治療を受けることに抵抗がある。
  • 摂食障害の症状は身体に現れるが、身体疾患ではなく精神疾患に分類されており、根底にあるのは心理的な問題である。
  • 摂食障害は症候群であって、症状自体は共通していても、背景はそれぞれの例で異なるため、すべての例に一律の治療方法を適用してもうまくいかない。

今思うのは、自分が治るためには絶対に避けて通れない過程があり、まだ落ちるのかと思いながら落ちに落ちて、「治るかもしれない」と思える変曲点みたいなものをじっくり待たねばならない、ということだ。焦っても苛立ってもそれは変わらない。

昔を思い出して自分語りが長くなってしまったので、今日はこのへんで。