あかねの日記

惰性で続けるブログ

すべての行動原理は面倒の回避

昨夜は薄っすら積もっていた雪も、午前中の早い段階であらかた融けていた。しかし、引き続き窓から冷気の漂ってくる一日だった。幸か不幸か、外に出られる時間も、外に出なければならない用事も無かった。活動量の低い日々。でもこんな寒い日は散歩しなくてもまあよいか。筋トレしとこ。

三十歳も半ばを超えたあたりから、「うん、衰えたな」と感じることがちょいちょい出てきた。単に生活が不健康なだけなのか、それともただの老化現象なのか、はっきりと判別できないことも多い。実際はどちらも影響しながら不可逆な変化をたどっているんだろうけど。

ちょっとした焦りを一瞬抱くものの、いくら頑張っても若いときの状態に戻ることなんてありえないし、頑張って元に戻りたいのかというとそうでもないことに気付く。「あの頃が一番良かった」と言える時期があったのかどうかさえよく分からないが、あったとしても「あのころに戻りたい」というのは無謀にも程があることを病気を通して少しは学び、今は現状を最適化してなるべくベストな自分を探していこうという感じ。むしろ二十代のころの方が、何とかしなければという強迫観念に取り付かれたり、若さという特権を失いつつあることへの喪失感を感じたり、これから自分はどうなるのだという不安に駆られてたりしていたと思う。

今はもう、そういうのに振り回されるのは疲れるからやりたくない。なんだかとっても面倒くさい。その一方、一度衰えるとベストに持っていくのが大変だし、余計な不利益は被りたくないので、それらを回避するために日々の小さな面倒事を取っているようなところもある。最近は、より大きな面倒を回避することが行動原理になっているような気がする。

日々の軽微な変動に一喜一憂しないよう、それらをあまり目に入れないように気を付けながらも、大きな下降トレンドを描かないよう現状維持を目標にしつつ、避けられない変化に対する自分の心理的な許容範囲を探るという、改善のための小さなPDCAを回し続けているような感じがする。

終わりが見えないのは面倒だけれども、それに振り回されるのもやはり面倒になってきた今日この頃。思考停止や自分に都合の良い忘却も含まれているが、毎日を生き延びていくために必要なことでもある。