あかねの日記

惰性で続けるブログ

大丈夫かどうか確認したい

先週に続き、摂食障害に関する本を読んだ。

内容を忘れないうちに、同じ分野の本をいくつか読んでおこうと思って。

あとは、たまにこの分野の本を読むことで、自分が大丈夫かどうかを確認したいというのもある。

(以下、長文です)

摂食障害の不安に向きあう:対人関係療法によるアプローチ

タイトルからは「摂食障害の発症後に出てくる不安を解消する」という意味にも取れるが、本の趣旨は「摂食障害の根底にある不安に対処することで回復に向かっていく」というところにある。患者への「安心の提供」はこの本で一貫している。

その手段の一つとして、対人関係療法によるアプローチが用いられる。拒食と過食で考え方に若干の差はあるが、治療の方針としては、それまで押し込めていた気持ちを表現し、重要な他者とのつながりを取り戻していくことによって、最終的には「自分はやっていける」と思えるようになることである。

 

まずは、著者が患者の気持ちをものすごく理解していてびっくりする。さらに、「こんなことをしている自分はなんてダメなんだ」思っている患者に、「それは病気なので治療が必要ですよ」とはっきり教えてくれる。そして、患者が今どんな状況にあるか(過去にどんな状況にあったか)をすとんと納得させてくれる。

元々は治療者向けの本とのことだが、病気の当事者ではない人々に患者の心理と病気の構造を客観的に説明することが、病気の「位置づけ」を必要とする患者とその家族にとっても有益となっている。

といっても最初の数章は、対人関係療法の説明、拒食と過食の要素の違い(標準的な診断基準とは異なる概念)、摂食障害の発症プロセス、不安の取り扱い方法などが混ざっているため、自分の頭を整理するには何度か行き来が必要だった。それ以降(家族の不安、治療者の不安、治療方法の適用例など)は比較的すらすら読める。(患者向けの入門書としては、同著者の『拒食症・過食症対人関係療法で治す』がとても良い。)

 

本書は2010年に単行本が発売され、2015年に文庫版&電子版が発売されている。私は単行本を一度読んだ切りだったが、Amazonサーフィンしているうちに「この本はもう一度読んで、いつでもどこでも開けるようにしておくべきではないか」と思い、今回は電子版を購入した。

以前は摂食障害の観点で読んでいたのであまり意識していなかったが、うつ病にも大変役立つ考え方だと気付いた。そもそもうつ病に用いられていた療法なので当たり前か。自分の心配や不安は共通の認識・思考からきており、そこへアプローチすることで全体的に良くなる、という感じ。

また、回復後に頑張りすぎないためには「治療のプラスにすることだけ」を基準にする、他人の反応に振り回されないためには「自分の土俵に乗せる」ことで境界を引く、といった考え方はとても参考になった。

著者のように安心第一からブレない治療者がいると分かるだけでも、病気になった側は勇気づけられるものである。(自己啓発寄りの本も多数執筆されているので、選ぶ際には注意が必要だけども。)

摂食障害の精神医学  「心の病気」としての理解と治療

2022年に出版された、比較的新しい本。

「はじめに」よると、摂食障害に苦手意識を持つ治療者は少なくないとのこと。執筆の背景には、医療者(特に精神科医)が摂食障害を遠ざけることなく、診療の場で日常的に対応し、患者の治療につなげられれば、という著者の思いがある。

先に紹介した本(以下、水島本)でも触れられていたが、摂食障害は治療が長期化しやすく、これだと言える治療法のない領域でもあるため、治療者も不安を感じやすいようだ。

 

本書はタイトル通り、「精神医学」の観点から摂食障害という病気と、その治療全般について解説されている。大きく前後半に分かれており、前半の第一部は『摂食障害という「病気」を考える』。「そもそも摂食障害は病気といえるのか」「病気であるとしたらどこからをそう判断するか」といったことから、「患者の背景にはどのような心理かあるか」「病気の長期化で何が課題となるか」といったことが述べられている。

後半の第二部『摂食障害の「治療」を考える』では、主な治療方法と、その採用を検討する際の考え方が示されている。水島本は対人関係療法に的を絞っているが、こちらは治療の進め方全般について広く検討している。「外来で行動を制限できるか」「強制栄養を使うべきか」「薬物療法の効果は」といったトピックが取り上げられる。また、「昔は良いとされていたが、今は効果がないと実証されている療法」を整理するという側面もある。

全体として、専門書よりではあるが、論文とデータに基づいて論理的かつ客観的に語られており、構成が体系立っているので大変分かりやすい。終盤の「摂食障害は本当に増え続けているのか?」「啓発と発祥予防を進めるには?」といった話題は、最近の情報や社会状況が反映されており、なるほどなあと思った。

 

しかし何より、「データが示す病気の実態」に心当たりがありすぎて、水島本とは別の意味でびっくりした。

特に「摂食障害の長期経過とライフサイクルの課題」「摂食障害と妊娠・出産」の章は、痛いところを思いっきり突かれた感がある。摂食障害は併存障害が多いにしても、自分が「摂食障害×産後うつ×仕事によるうつ病」のコンボをみごとにキメてしまっていることに愕然とした。また、現実というか、事実を目の前に突き付けられた感もある。もしこれから良くないことが発覚したら、自分のせいでこうなってしまったと思うだろう。

しかし、その事実を知れたことで、事前に心の準備ができる、または対策を取れるという利点もある。過ぎてしまったことは今更どうしようもない。これからできることに目を向けるのが健全なんだろうな。それに、昔の自分からすると信じられないくらい今はフツーに暮らしていて、それだけでも十分なんじゃないかと思える。

水島本にあった、「自分一人で努力すれば何とかなる」という考え方から、「人の力も借りて、できることをやれば、何とかなる」という考え方に、少しは変わった面もある。正しくは、助けてもらわなければどうしようもなかったのだけれど。それで分かったのならまあいいか。

比較してみると

水島本は、治療を進め再発を防止する上で重要になってくる、患者の気持ちをしっかりと代弁している。西園本は、精神医学における摂食障害の位置付けと治療を、広く網羅的に解説している。続けて読んでみて、理解の両輪になると感じた。

治療者でなくとも、自分のことを知り、自分と上手く付き合っていくためには、正体を知っておくことがとても重要だと思う。

また、読んでいて共通に思ったのは、患者を脅したり不安を煽ったりするような方法で治療を受けさせるのは、結局治らないもしくは症状を悪化させるだけということだ。患者に安心を提供するという考え方とは真逆。どんな病気でも、さらに病気以外のことでも、不安を煽る方法はされたくないと思った。

 

ちなみに、西園本と先週読んだ『摂食障害のすべて』(以下、高木本)を比較すると、客観的で論理的な西園本に比べ、高木本は主観的で情緒的な印象が拭えなかった。自伝的側面が強く、不要な経歴アピールが多く、大げさな表現が目立っている。

「神経性やせ症」の病名オリジナリティ論争においても、西園本は冷静に考察しているが、高木本は美談調になっており、私としては西園本の方がしっくりきた。