あかねの日記

惰性で続けるブログ

映画『ジェーンとシャルロット』

午後から有給を取った。

なぜなら、マンションの設備点検で生活インフラが停止するから。一部電気、ガス、水道、インターネット、共用部のエレベーター、と一通り使えない。

在宅勤務なのでインターネット必須だが、一時的にスマホテザリングすれば何とかなる。それも使えず、どうしても仕事をしたい、もしくはせざるを得ないときは、出社するという手もある。でもそこまではしない。

それでも、何かの弾みでうっかり働いてしまいそうな煮え切らない態度だったため、休みを決断するためのあと一押しとして、今日から公開される映画を見に行くことにした。

タイトルは『ジェーンとシャルロット』。先日逝去したジェーン・バーキンを、次女シャルロットが撮影したドキュメンタリー。

ジェーンが亡くなったとのニュースを追っているうちに気になりだして、今回の休みの決め手としてうってつけだったわけだ。

夫に「ジェーン・バーキンの映画を見に行く」と伝えると、「誰だか分からない。え、バッグ高くない?」みたいなレベルだった。

見終わってすぐの感想としては、とてもよかった。そう思った理由を三点あげてみる。

まず、自ら語るジェーンを映像で存分に堪能できたこと。普段目にすることが多いのは雑誌やwebメディアの記事だが、きれいに編集されたインタビューや、過去のファッションスタイルをまとめたものがほとんどになる。ジェーンが「こんな人だった」というのは紹介されているけれども、年月を経たジェーンがどう感じているかはよく分からない。それに対して、この映画ではジェーン本人が話すシーンの積み重ねから、そのあたりがとても伝わってくる。外見の変化に対して思っていること、母親として罪悪感を感じていること、自死した長女ケイトに対する想い、これまでの自身の生活と病気について、などを率直に語っている。ジェーンが語るからこそ納得できる言葉もたくさんあった。

次に、ジェーンとシャルロットが対話を重ねながらわだかまりを解いていくところ。初めはぎこちない雰囲気が画面越しにも感じられるが、中盤にジェーンとシャルロットが同じステージに立つ前のリハーサルで、歌い終わったジェーンが涙するあたりから、がらりと空気が変わったような気がした。各地でのステージ、現在の住まい、過去にセルジュと暮らした家といった様々な場所を巡り、徐々に思い出しながら会話をしている。きちんと話しておきたい相手ほど、重要な会話を先送りにしてしまうものだと感じた。

そして、ジェーンはいくつになっても笑顔が素敵。昔の写真と同じ、飾らない笑い方。しかし映画の中で「若いころは移り映えを気にしなかったが、今は対策をする必要がある。ケイトの死のあとから、身長が縮み体がずんぐりしてきた」といったことを話していた。それでも自分の軸からぶれていないのはすごい。ファッションも住まいの雰囲気もらしくていい。シャルロットもめちゃめちゃスタイリッシュ。飾らないのにきまっている。

ベテランのハリウッド女優やスーパーモデルが、変わらぬ美貌を保ち現役感をバリバリと醸し出している様子が報じられるが、人工的で張り付いたような笑顔や、美容整形の痕跡が気になる場合も少なくない。ありのままでよしとするか、最大限努力することをよしとするか。ただの一般人としては、ありのままの軸からブレないジェーンを見ていてとても安心した。もうこの世にいない人なのだと思うと寂しく感じる。

チラシとパンフレット