あかねの日記

惰性で続けるブログ

同じものを見ても書くことは違う

今週は娘の小学校の二者面談があった。国語の時間に書いたという絵日記を、担任の先生が見せてくれた。私と娘が二人で桜を見に行った日のことが書かれていた。

また別の日に、これも国語の時間に書いたという作文を娘が持って帰った。ゴールデンウィークに家族で海を訪れたことが書かれていた。

私も同じことをネタにしていると心の中で笑いつつ、一緒に過ごした時間をどこか別の世界のように感じた。同じものを見ていても着目点や解像度が違っている。その差異が面白いのは、読書でも映画でも音楽でも、はたまた見る人が大人でも子供でも変わらないと思った。

また、娘が割合しっかりした文章を書けるようになっていてちょっと驚いた。夫は「自分が同じ学年のときは、格段に酷いものを書いていた気がする」と振り返っていた。どうやら「○○をしました、××をしました」と事実を羅列し、最後に「楽しかったです」と付け加えるスタイルだったらしい。まあ自分も似たようなものだった。

小学校の作文の時間なんて、教師から「思ったことや感じたことを、読む人がちゃんと分かるように、よく考えて自由に書きましょう」など曖昧な指示を受け、思いつくままに駄文を生成するだけだった。何をどう書けばよいのやら困った思い出しかない。

それに比べて、授業に論理的な文章の組み立て方を取り入れる現代の流れ自体は良いことだと思う。高等教育でいきなり小論文やレポートを書けと言われて、途方に暮れてしまうケースをいくらか防げるのではないだろうか。少なくとも、私はそういうことを早くから学んでおきたかった。

つらつらと考えているうちに、自分のブログのネタが小学生レベルであることにもまた気付かされるのであった。