あかねの日記

惰性で続けるブログ

犬との思い出

犬の出てくる小説を読んでいたら、実家で飼っていた犬のことが頭をよぎりだしたので、今日はそれについて書きたい。

 

実家では入れ替わり立ち代わり、最低でも一匹、多いときは三匹の犬を飼っていた。犬種はイングリッシュ・セター。父が猟に連れて行くための猟犬。一時期は、子犬が産まれて七匹の毛玉がころころと庭を走り回っていることもあった。(ある程度育ったところで、ほとんどがもらわれていった。)

最初の犬がやってきたのは、私が幼稚園に入ったころ。ある程度育っており、穏やかで優しい雌犬だった。小さかった弟が犬と一緒に犬小屋に入り込んでいる写真が残っているが、迷惑そうな顔をしながらも寄り添ってくれているのが本当に優しい。

しばらくして二匹目がやってきた。若くて元気、尻尾を振り回しながら飛びついてくる懐っこい雌犬。この犬は一番長生きで、十二年以上生きたはずだ。子犬を生んだのもこの犬。元気なのが当たり前だと思っていたので、歳をとり弱っていく姿は直視しづらかった。晩年は視力が弱くなっていたが、誰が来たかは分かる様子で家族が近づくと嬉しそうにしていた。いつも変わらぬ態度で寄ってきてくれることをありがたく思う場面は度々あった。私が実家をでる少し前に亡くなって、泣きながら山に埋めた。実家に帰ったときは手を合わせに行っている。私にとっては、一番思い入れのある犬だ。

一匹目が他の家にもらわれていって、代わりにやってきたのが三匹目の雄犬。大きくて力が強かった。四匹目は、生まれた子犬のうちの一匹。そのあとも入れ替わりがあったはずだが、実家を出たあとの流れをあまり把握していない。直近で帰省したときはビーグルがいて、これまた懐っこい犬で娘に飛びついていた。

 

小学生のころは、夕方になると父、妹、たぶん弟も一緒に(うろ覚え)、それらの犬を散歩に連れて行っていた。嫌々だったけど、今となっては犬との美しき思い出に昇華されている。何が嫌だったかというと、決して犬のことが嫌いだったわけでなく、犬の力が強すぎて大変だったのだ。散歩と言ってもそんなにお上品なものではなく、リードを付けてそこらへんの山へ行って、しばらく自由に走らせて、またしばらくしたら呼び戻してリードにつないで帰るというもの。行くときは犬がとにかくはしゃぎ回っていて、半ば引きずられながら付いていった。そのかわり、帰りは登り道を引っ張ってもらった。あいかわらず犬は元気。

一応大型犬だけど、とても大きいかというとそうでもなく、中型犬くらいの印象だった。でも他の犬を知ってみると、そこそこ大きかったような気もする。

小学生の娘を見ていると、大人からするとまだまだ小さくて、自分もこんな小さかったころにあの犬たちを散歩させていたのだと考えると、めちゃめちゃ頑張っていたと思う。瘦せっぽちで運動神経の悪い子どもだったのでなおさら。子どものころの自分を誉めてあげたい。

 

犬は父の言うことには一応従っていたが、一番好きだったのは母のことだったと思う。母はちゃんと面倒見て大事にしてくれるもんな。猫でも山羊でもそんな感じだった。