あかねの日記

惰性で続けるブログ

恩恵と弊害

春の花粉症に続き、秋もそれらしき症状が見られるようになった。

朝起きてしばらくはくしゃみが出やすかった。娘もくしゅんくしゅん言っていた。10月前半がピークだったように思う。後半に入ってからは二人とも治まってきた。

秋は涼しくて過ごしやすいが、弊害もある。

 

実家からは新米が届いた。昨夜、娘は「お米おいしい」と言いながら豚の生姜焼き丼をもりもり食べていた。

米を送ってもらえるのはありがたいことなのだろうし、もらえるものはもらっておくが、私は両親(というより父)に対する感謝の気持ちが限りなく薄い。

父は「誰に育ててもらっていると思っているんだ」といった、昔ならよくあることで済んだが、今なら完全にモラハラに引っかかる発言を繰り出してくる人だからだ(現在形)。

母は一応はそれをたしなめるが、根本的解決につながるようなアクションを取ることは無く、そういうところも私がいら立つ要因だった。(今は父が変わらないことを悟ったのでそうでもない。)

小学生の頃は、父と母が離婚しないだろうか、そしたら母の実家で暮らせて万々歳なのに、と割と真剣に考えていた。妹も同様だったようだ。弟については知らない。

それからも、恩着せがましい奴だな、人としてどうなのか、育ててくれなんて頼んでないわ、といった反抗的態度で日々戦っていた影響と、その後に父が変わるなんて到底無理だと悟ったのとで、私は今でも冷淡かつ薄情な姿勢を崩さない。(数少ない良かった点は、モラハラを察知する能力が身に付いたこと)

自分が親になったら子どもに対して「誰に育ててもらっているんだ」と言ったりするのだろうか、しかしそうはなりたくないと思っていた。実際になってみて、その類の発言をする無神経さはやはり理解できなかった。自分がしてあげてるっていう残念な思考しかないのだろう。

今後は、ほどよい距離感で付き合いたいという思いすら無く、できるだけ関わらずに済ませたいと思っている。年に一度は帰省していたが、私の精神が蝕まれるのでそれも止めると決めた。孫を送り込んであげるので、ありがたく思ってください。

 

母についてはまた別で、どこか抜けており話が飛ぶので何を言っているのかよく分からないことも多いが、面倒見がよく明るい人なので、ほどよい距離感で付き合いたい方の親である。母はスポーツが得意で、料理や裁縫もお手のものだが、私には遺伝しなかった。

いまだに母に頼っている自覚があり、もし母がいなくなったら実家が実家でなくなるような気がしている。反対に、父がいなくなったら実家が本当の実家になるような気がする。

 

子ども目線で言うと父は父としてあまり良くなかったが(むしろ悪かったと言いたい)、母とは破れ鍋に綴じ蓋のようである。子供たちが独立したあと、父はさっさと会社を辞めて、農業・林業・狩猟・バイクや機会いじり、その他好きなことを生業にしている。確かに会社員は向いてなかった。母は仕事をしつつ、マラソン出場と日々のランニングに精を出している。そして孫の世話をしている。何でそんなに元気なのか意味が分からない。

二人でキャンピングカーで四国八十八か所を回ったり、中国地方の道の駅を制覇したり、フェリーで北海道に渡り夫の実家に立ち寄ったり(たぶん今週も行っている)、その他全国を津々浦々と巡ったりして、セカンドライフを謳歌しているようだ。実家に元々祖母はいないし、祖父はちょっとぼけつつ往生したので、誰かの介護をする必要もない。

 

元気ゆえに関わる必要がないうちはまだよい。しかしこのままいくと、親が年取ったらどうすんだ問題は確実に出てくる。

自分のためにも介護だのなんだのの基礎知識は仕入れているし、何かあったときに話についていけるくらいの状態にはしておきたいが、実働は隣で暮らす弟一家にまるっと託すことになるんだろうなと薄っすら思っている。

実際どうなるかは分からないんだけど。できるだけ慌てないようにしておきたいし、自分が動かなくても使える方法は把握しておきたい。要は、可能な限りラクしたい。