あかねの日記

惰性で続けるブログ

薪を燃やす方式

日の出が遅いだけかと思っていたら、ずっと曇りで薄暗い一日だった。そして空気が乾燥している。眼も鼻も喉も乾く。

怒涛の一週間だった。飛んでくるボールをバンバン打ち返す。急峻な山道を駆け上る。会議の傍ら内職に精を出す。そんな感じでわちゃわしゃしていたが、無事に乗り切ることができてひとまずほっとしている。

週一での出社日。オフィスで集中して仕事をしていると、いくらでも働きたいし働けそうな気になってくる。もし自分に子どもがいなかったら、もっともっと働いていただろうし、仕事が生きがいの THE 仕事人間になっていただろうと想像する。ま、無理な働き方をしていれば長く続きはしないだろうけど。

この一年は基本やる気のない自分が定番となっていたが、昨日は仕事に燃える自分を発見し、ちょっと驚くとともに嬉しく思った。まだそんな自分が残っていたのか。というより、上手く火を点ければ燃えるようだ。

 

私は火起こしが苦手だ。焚き火のような物理的な火起こしのこと。私の実家では、薪ストーブやら、薪で炊くお風呂やら、その他農作業でも薪を活用しており、何でそんなに薪を使うのか意味が分からないほど薪依存率が高い。お風呂をリフォームしたときも、ガスと太陽光に加え、薪で炊く機能もわざわざ追加するという狂いっぷりである。今でも実家に帰ると、父と母がどちらが風呂を焚くかというくだらない争いをしていることがある。薪で焚くのがなぜか最優先なのだ。

そんなわけで、私が子どもの頃は薪関連の作業を言いつけられることが多々あった。木材の運搬、薪割り、軒下への積み上げ、燃やす場所までの輸送、火起こしに必要な小枝の収集。

私が初めて風呂焚き当番を父から命ぜられたのは、小学校一年生のころだと記憶している。まず、私は火が怖かった。ライターでもマッチでも怖い。自分の手が燃えるんじゃないかという恐怖があった。なので、新聞に着火するところからしてめちゃめちゃ下手くそだった。次に、上手く着火して小枝や落ち葉に火を移したとしても、弱々しすぎてすぐに燃え尽きてしまう。何度も繰り返して、煙と熱と荒ぶる小枝と格闘していた。そして、なんとか小枝が燃え出したとしても、薪が安定して燃えるようになるまでがまた長い。きちんと木をくみ上げて、団扇で風を送って、火が回るように常時見張っていなければならない。ほんと、なんでガスか電気を使わないの?もちろん水道は井戸水を汲み上げている。

この風呂焚き強制労働を思い出して、私のやる気機構は実家の薪方式と同じなのではないかと思い至った。資材の準備が大変。なかなか火が点かない。火が強すぎると釜の劣化が早い。温度調整が難しい。燃え尽きた後は灰取り必須。熱いし煙たい。電気・ガス・灯油などのように、早く・安く・楽になんてのとは無縁だ。鉄道で言えば蒸気機関車、発電で言えば火力発電所あたりだろうか。

自分のやる気動力機構を取り換えられたら処理能力がアップするかもしれないが、そんなことは到底不可能であるし、実際にできることと言えばせいぜい今の機構で効率化を図ることくらいである。それに、やる気機構を取り換えたら自分が自分でなくなるような気がしなくもない。

自分の動力機構を正しく捉え、適切な燃料を投入し、暴走しないように制御を行いながら走り、日々のメンテナンスも怠らない。そんな風に上手くマネジメントできたら理想的ではある。需要に供給が追いつくかどうかは分からないけれど。

しかし、自分にとっての薪は何だろう?仕事か家族か、それとも娯楽か。