あかねの日記

惰性で続けるブログ

100投稿目 アナログ日記には無いブログの良さ

いつも読んで下さる方に心から感謝です。

本記事で100投稿目を迎えた。

今までアナログ日記を付けたこともあるが、長くても半年くらいしか持たなかった。徐々に間が空いてフェードアウトしたり、ある日突然パッタリと書かなくなったり。

ブログはいい感じに続いている。誰にも見せないアナログ日記と公開ブログを比較して、アナログ日記を止めてしまう理由の幾つかがはっきりしてきた。

文章を書くのに疲れる

アナログ日記は初めこそ丁寧な字で書くものの、日を追うごとに汚い字になってくる。なんなら同じ日でも、後の方になると雑に書き殴っている。眠たい時はミミズが這ったような字だ。

何でそんなことになるかというと、大抵は文章を書くのに疲れてくるからである。手が疲れるのもあるが、書き間違えたら直したり、漢字が分からなかったら調べたり、そういった細かい部分を放っておけないとどんどん手間が増えてくる。そしてあまりにも負担になり、日記を止めてしまうのだ。

 何が起こったのかよく分からない

思い浮かんだことを気ままに書いていると、「ちょっと流れが悪いな」「あれも書き添えておこう」と思うことが後から頻繁に出てくる。それまでに書いた部分を消して、構成と文章を練り直すには、多大な労力を要する。

仕方ないので隙間に書き込んだり、むりやり流れを戻して書いてみたりするものの、今日一日何が起こったのか、どう感じたのか、よく分からない記述ができあがる。

負のループから抜け出せない

誰にも見せない日記だと、「上手くいかなかった」「どうせ自分はダメだ」といったネガティブな感情を毎日書き連ねてしまう。よろしくないと分かっていても止められない。思っていることを書き出しても、気持ちの整理にならないのである。

人生には悪い状況が続くことはあるし、思いも寄らないトラブルが発生することもある。暗い気持ちや愚痴を吐き出す場所は必要である。(日記とは別に、心のノートを用意しておくと良いのかもしれない。)しかし、閉じた日記だと、意識的かどうかにかかわらず、客観的に捉えようとする視点が生じにくいと思う。

 

上記の結果、字が汚くて解読不能、何が起こったのかよく分からない、呪詛にまみれた代物が生産される。役に立つ日記にしたいわけではないが、あまりにも役立たない。デジタルに移行しても、閉じた場所だと同じ事態が発生する。

一方、公開ブログの何が良いかというと、気持ちや考えを整理しながら書けて、最近のできごとがちゃんと記録されていて、そう頻繁にでなくても過去を見返すことができる点である。

毎日書いているうちにそう悪くない面に目を向けられるし、後から見返して変化に気付くこともできる。今まで億劫だったことを試してみよう、どうせなら楽しくやってみようと、決意とは言えないまでも好奇心のようなものが出てくる。

ブログで目標を宣言するのはプレッシャーになりそうだと思っていたが、「気になるのでちょっとやってみようかな」「これからは気をつけよう」くらいのレベルでも書いてみると、自分の行動が変わってくるものだと実感している。

このごろ時間の確保が厳しいときもあるが、毎日何か一言でも残していきたい。