本を読み終えてからブログを書こうと思っていたら、いつもより遅くなってしまった。
今日はまる一日『鵼の碑』を読んでいた。(夫と娘はそれぞれ遊びに行っていた。)半分を過ぎると残りはあっという間。あんなに分厚いのに、読んでいる間はそれを感じさせない。どんどん話が進んで退屈しない。長いけれど無駄が無い。
以前はおもしろく読んでいたフィクションも、三十路を越えてからは粗の方が目に付くようになった。薄っぺらいキャラクター、ご都合主義な展開、感動や恐怖の押し売り。
単に若者向けの作品が合わなくなったということではないし、大人になって難解な作品が分かるようになったということでもない。自分の立場や経験により捉え方が変わることを考慮しても、やたらと現実性や整合性ばかりを気にするようになったものだ。おもしろいと感じるまでのフィルターの目が細かくなった。しかも自分の好みに偏っている。
しかし、京極夏彦はいつでもおもしろい。てんこ盛りなキャラクターばかり登場するし、芝居がかっているし、こんな偶然あるのと思うような展開ばかりなのに、それが全然気にならない。むしろめちゃくちゃおもしろい。こんなものよく書けるものだと、ますますその凄さを思い知らされる。
作品の舞台は1950年代だが、最近の社会問題に対する示唆にも富んでいた。(政治と宗教、プロバガンダ、陰謀論、核兵器、多様性などなど。)京極堂に言われると納得感が半端ない。
今まで(といっても17年前…)は妖怪絡みの謎解きや京極堂の蘊蓄を楽しんでいる面が強かったけど、今回はそれ以外のおもしろさも色々と感じた。捉え方が変わるのは悪いことばかりではない。