あかねの日記

惰性で続けるブログ

とりあえず読んだ『君たちはどう生きるか』

本日から公開された、スタジオジブリ宮崎駿監督の10年ぶりの長編アニメーション作品『君たちはどう生きるか』。

いつから始まるのかも知らない状態だったが、夫と「もうすぐらしいので、そのうち見に行こう」という話になり(夫は駿作品を映画館で見たことがないらしい)、予習として原作を読んでおくことにした。岩波文庫を買って帰ったら、「マンガの存在しか知らなかった」と言われた。

しかし、小説はあくまで映画タイトルの元ネタであり、内容との関連性は一切ないとの情報が。本屋で積み増されているのが、とたんに便乗商法に思えてくる。まあ原作と関係ないなら、ネタバレは気にしなくてもよさそうだ。

 

以前からこの本の存在を知りつつ敬遠していた理由は、「全国読書感想文コンクールの推薦図書に指定されていそうな面白みのない本」というイメージが強かったからだ。実際読んでみてどうだったかというと、予想を裏切らない道徳の教科書ぶりだった。

しかし、一番注目すべきはこの本の書かれた経緯だと思う。巻末に収録されている、作者・吉野源三郎が戦後に書いた『作品について』によると、初版が発行されたのは1937年7月。作家・山本有三が企画した『日本少国民文庫』シリーズの最終作として刊行されたとのこと。

当時は、1934年の満州事変で日本がアジア大陸に進攻を開始してから4年が経過し、国内では軍国主義が勢力を強めていた時期。『日本少国民文庫』というシリーズ名だけ見ると「お国のために」という印象を受けるが、企画に込められた想いはその逆のようだ。

山本先生のような自由主義の立場におられた作家でも、1935年には、もう自由な執筆が困難となっておられました。その中で先先生は、少年少女に訴える余地はまだ残っているし、せめてこの人々だけは、時勢の悪い影響から守りたい、と思い立たれました。

先生の考えでは、今日の少年少女こそ次の時代を背負うべき大切な人たちである。この人々にこそ、まだ希望はある。だから、この人々には、偏狭な国粋主義や反動的な思想を超えた、自由で豊かな文化のあることを、なんとかしてつたえておかねばならないし、人類の進歩についての信念を今のうちに養っておかねば、というのでした。

本編の内容よりも、この本が出版されるまでのいきさつを朝ドラ風に仕立てた方がおもしろいのではないか?

 

内容にも触れておくと、起承転結のはっきりした少年の成長ストーリーとなっている。

基本構成としては、各章で主人公のコペル君(本名・本田潤一、中学一年生)のエピソードが語られ、それに続きコペル君のよき理解者である叔父さん(母の弟、大学を出て間もない法学士)による『おじさんのNote』がつづられる。

コペル君のおとうさまは一昨年に亡くなっており、後を託された叔父さんは、コペル君の成長記録をつけておいて、いつかコペル君本人に渡そうと考えている。

コペル君登場。コペル君がいかに利口で礼儀正しく、純粋な少年かということが描写されている。そして、コペル君の家が裕福だということも伝わってくる。おとうさまが亡くなって郊外の小さな家に引っ越したといっても、ばあやと女中がついており、お金には困っていない様子。おとうさまは銀行の重役だったそうだ。おかあさまも良家の出身だと伺える。

コペル君の通う中学校も、上流階級の子息が集うエリート校のようだ。クラスメイトの水谷君のおとうさまは大実業家、北見君のおとうさまは陸軍大佐である。

そんなコペル君のクラスにも、一般庶民が混ざっている。それが浦川君だ。(豆腐屋の息子。峠を走るようなヤンチャではない。)

ある出来事をきっかけに、浦川君との親交を深めるコペル君。しかしまた、浦川君との間に横たわる貧富の差も意識せざるをえないのだった。

このあたりの『おじさんのNote』を読んでいて気付くのは、コペル君は貧しい人々に「与える側」だということだ。自分が貧乏になる可能性には微塵も思い至らない様子。1937年の出版当時、この本の読者は上流知識階層の子息が大半を占めていたのだろうか。学校に通えない子どもは、本を読めるような状況ではなかっただろうし。

ある事件をきっかけに、意気消沈し高熱で寝込んでしまうコペル君。おませだったコペル君の子供らしい一面に、同情を禁じえない。『おじさんのNote』もここぞとばかりに冴えわたる。これまでの説教臭さも中和されてくるから不思議だ。

ハッピーエンドを迎えるコペル君。叔父さんが披露する「ガンダーラの仏像」のうんちくは、この本で一番ためになった部分だ。最後にコペル君は、自分でも日記を書き始める。

現在この本が注目されている理由は何だろう。作者自身も「いい加減古臭い」と言われるのを分かっていながらも、改めて人間として大切なことを思い出させてくれるからだろうか。

本来の対象年齢である、小学生高学年~中学生向けによいかもしれない。まあ、現代でこれを素直に受け入れるような子どもを見かけたら、世に潜む危険に関する本をおススメしてしまうかもしれない。

あとは、「人間とはこうあるべき」と大人が子どもに押し付けるような使い方はされないでほしいと思った。