あかねの日記

惰性で続けるブログ

つらさに対する想像力

比較的涼しい日。風が通って過ごしやすかった。

しかし、吐き気がするほどお腹が痛い。怪しくなったらすぐバファリン。効果が切れないうちに次のバファリン。効果が切れるとやばくなることを今日は再確認した。痛みを感じないようにしておけば、一通りのことは何とかなる。痛くないってだけで調子は悪いけど。

 

骨折したとか発熱したとか明らかな怪我や症状があればまだ説明しやすいが、そうでないときのつらさっていうのは説明しにくい。正確に説明するのは不可能なんじゃないかと思う。自分のつらさをいろんな人につらつらと語っていた時期があるが、こんなに苦しいのに誰にも解かりやしないんだろうな思うこともあれば、実際に全然伝わっていなくてがっかりしたこともあった。

しかし、相手が体験しているわけではないのだから、伝わらなくて当たり前だろうなと今なら思う。どこがつらいか、どんな風につらいか、どの程度つらいか、説明する方もたいていは上手く説明できない。日常生活のあらゆる場面で不便が発生していても、同じ経験をしたことがない人にはどうしても伝わりにくい。同じ病気を経験していたとしても、同じようにつらいかというとそうでもない。症状も対処法も人によって違う。

ただ、共通点が全くないわけではない。体験談を読んで「めっちゃわかる」となるときもあれば、「ああいう気持ちに近いんだろうな」と想像できるときもある。同じ病に罹った人や、腰を痛めてつらそうな人を見ると、どういう点で困っているのか割と察知できるようにもなった。痛みが続くと精神を病んでいくことも自分なりに分かる。それを考えると、病気になる以前の私は傲慢で無神経であった。

 

明らかな怪我の場合は「痛み止めが効いていても無理しないでね」と言われるだろうが、そうでない場合は「痛くないなら大丈夫だよね」と言われがちだし、自分も思ってしまいがちである。せめて自分が困った点については、「大丈夫なんじゃないの?」という押しつけをしたくない。

ちなみに、私がうつ病(一度目)のときに言われて超ムカついたセリフ三選は、「どうして暗い顔してるの?」「外に出て気分転換したら?」「それはお母さんの仕事だよ」(←娘が赤ん坊だったので)である。どうにもならないから困ってるんだっつの。