先日購入した、アビゲイル・シュライアー『トランスジェンダーになりたい少女たち』を読んだ。
それまで何の兆候も見られなかったのに、トランスジェンダーだと自認し始める少女が増えている。唐突にそれを宣言された保護者はびっくりする。どうしてそのようなことが起こっているのか。
少女たちは、(思春期に直面する)自分の苦しさや不安は「自分がトランスジェンダーであることからきているのではないのか」と考え始める。トランスジェンダーであると宣言すると、周りから勇気ある人だと認められる。友だちグループ内でのステータスも一段上がる。
インフルエンサーは、テストステロンを試してみることをお勧めし、あなたを認めてくれない両親は捨ててしまえとアドバイスする。
学校は、幼いうちから多種多様なジェンダー用語を教え込み、自身の性自認を突き止めるように促す。命令や差別や嫌がらせを防ぐという名目で、生徒がどのような性自認や性的指向を持っているかは、その保護者には一切共有されない(アメリカの一部の州での話にはなるが)。学内では、レインボーフラッグのシールを貼っていないと、白い目で見られる。
精神科医やカウンセラーは、性的違和を解消するための処置が本当に必要なのかを慎重に見極めることなく、肯定的なケアを絶対とし、リスクを説明することもないまま危険な処置を勧めてくる。性自認は変わらないことを前提としており、子どもの判断を疑うこともしない。子どもの主張を認めないと毒親扱いされる。
また、カルト教団的なインターネットコミュニティーにはまり込むと、そこから抜け出すことは難しい。始めはみな優しく、自分の居場所を見つけたような気持ちになれるかもしれない。しかし、違う意見は聞き入れられず、少しでも疑問を挟み込むと非難される。トランスジェンダーを撤回すると裏切り者の烙印を押されること間違いなし。否定的な意見を持つ親とは縁を切るように煽り、周りとのつながりを断ち切ってくる。まさにカルト。
まず、自傷行為や摂食障害に連なる新たなアイデンティティの依存先としてトランスジェンダー自認がある、という説明はとても腑に落ちた。自傷行為も摂食障害も「症状」として表れているのであって、その根底にある要因に向き合わない限りは収まらない。トランスジェンダーとして性的違和を解消するための治療を受けた場合でも、生きづらさは軽くなるどころかますます重くなる。「自分はトランスジェンダーではなかったのだ」と気付いた時にはもう元通りにならないところまできており、大きな後遺症を抱えて生きていくことになる。
160cm 35kg の拒食症患者が「太っているから痩せたい」と言っていたとしても「じゃあ脂肪吸引しましょう」とはならないが、「トランスジェンダーだから男性になりたい」という人には「じゃあテストステロン打ちましょう」とあっさり進んでしまうようなのは本当に怖いと思った。
中学生くらいまでは、自分が感じているのが性的違和なのか、それとも性別による役割分担への違和感なのか判断できないことは多いと思う。というかそういう概念があることすら知らないのではないだろうか。また、男女の区別も何となくしか意識していないような幼児のうちから性的指向の細かい違いを説明するのは、混乱と思い込みを招く要因になるというのは納得した。物事には順番とタイミングがある。
トランスジェンダーかどうか疑いを持つことがタブーになってしまっており、それを口に出してしまうと差別主義者だと非難される。この本が「焚書」扱いされているのも、内容が過激というよりは過激派からの攻撃がすごいせいなのだろうと察した。
「娘に突然トランスジェンダーをカミングアウトされて動揺する親」に向けた本ではあるが、最後のアドバイスは子育て全般を通じて心得ておきたいことがまとめられていた。特に以下の2番。
- 子どもにスマホを持たせない
- 親の権限を放棄してはいけない
- 子どもの教育の場でジェンダーイデオロギーを支持してはいけない
- 家庭のプライバシーを取り戻す
- オンラインコミュニティから娘を引きはなす
- 少女たちを病人扱いするのはやめる
- 恐れずに認めよう。女の子だってすばらしい
普段から子どもの様子を見ているか、変化に気付けるか、気付いても面倒だからと見て見ぬふりしないか。衝突することがあっても、つながりを断ち切らない努力ができるか。根本的なところを問われていてどきっとした。