書籍が本棚に収まり切らなくなってきたので、夫と各自の本を整理した。数年前に引っ越したときから放置している段ボール箱もある。この機会に中身を改めた。不要な本はまとめてブックオフの宅配買取で引き取ってもらった。
処分するか迷ったのは、司馬遼太郎の文庫本である。冊数が多いので場所を取る。しかし、夫は手元に置いておきたいとのことで残すことにした。
私は再読するかどうか分からない。それはなぜか? 私の経験ベースになるが、司馬遼太郎との付き合いは以下の3フェーズに分かれると思う。
熱中期
司馬遼太郎にハマったばかりの時期。面白い!歴史の勉強になる!とテンション高めに次々と読んでいく。
他の歴史小説家(藤沢周平、池波正太郎など)にも手を出したりする。
疑惑期
司馬史観の功罪を認識し始める時期。事実ベースだと思っていたものがフィクションであると知り、またそれが事実であるかのように広く受け入れられていることに疑問を感じ、読み控えるようになる。
さらに、陰謀論や属国論の本を読んだりすると、疑心暗鬼に拍車が掛かる。
熟年期
歴史書ではなくフィクション小説だと割り切って楽しめる時期。
今の私は疑惑期にいるので読んでいない。しかし、今後フィクションとして楽しめる可能性は残っている。
そもそも司馬遼太郎を読み始めたのは、新幹線の乗車待ちをしていたときに大幅な到着遅延が発生し、暇つぶしに駅の売店で購入したのがきっかけだった。そんなふうに読む機会がやってくるかもしれない。