あかねの日記

惰性で続けるブログ

読書『100分de名著 フェミニズム』

2023年1月2日にテレビ放送された『100分deフェミニズム』の書籍版。四名の選者が、それぞれの得意分野をベースに「フェミニズムの名著」を紹介している。

「多角的なテーマから名著を読み解くことで、「フェミニズムとは何か」「どんなことを問題にしてきたのか」について考察している」(webサイトより)とのこと。

どの本も「気になっているけど未読」の状態にあったが、「こんなところが面白いよ」とその魅力を教えてもらい、がぜん読みたくなった。

未読だった理由としては、いきなり原書に当たるのはハードルが高いので、フェミニズムの歴史や全体像の解説本を中心に読んでいたことが挙げられる。同じように未読の方は、それらに取り掛かるきっかけになるのではないかと思う。

また、フェミニズムそのものについての本でなくても、フェミニズムの視点から読み解くのはおもしろいことだと感じた。

以下、パートごとに感想と印象に残った点をまとめる。

1. 森まゆみ編『伊藤野枝集』ー加藤洋子

選者は、『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』の著書で知られる加藤洋子さん。『伊藤野枝集』から、「乞食の名誉」「階級的反感」の二作が取り上げられている。

以前『日本のフェミニズム』を読んで伊藤野枝についてはある程度把握していたこともあり、全体的に読みやすかった

印象に残った点を三つ。一つ目は、「乞食の名誉」に出てくる「不覚な違算」という言葉について。違算とは、「想定外のことに直面して思った通りの結果にならないこと」を指している。男性は家庭のことを全て女性に任せて仕事に没頭できるが、女性はその「不覚な違算」を背負わされて生きている。その裏には「分断による統治」がある、と説明されている。

二つ目は、パートナーの大杉栄が警察に不当逮捕された際に、内務大臣の後藤新平に抗議の手紙を送ったときのエピソード。手紙の内容はさることながら、「お上に対して物怖じしないだけでなく、物事を動かすには誰に働きかけるべきかを理解していた」という点は、野枝がやり手であることを感じさせる。

三つ目は、資料が欠けている中でも「野枝があれだけ強くあれたのは、家庭生活がつらいだけのものではなかった」と推測されること。「習俗打破」のために戦ったというイメージが強いが、それだけでない面があることを知り、野枝の人物像が立体的になった。

2. アトウッド『侍女の物語』『誓願』ー鴻巣友季子

選者は『嵐が丘』『風と共に去りぬ』(共に新潮文庫)などの翻訳を手掛けてきた、鴻巣友季子さん。(「こうのす」という読み方を始めて知った。)

小説『侍女の物語』とその続編『誓願』を取り上げている。著者のマーガレット・アトウッドは「未来を予言する作家」と言われており、これら小説で書かれている「女性を分断し支配する構造」が、現代にもそっくり当てはまると指摘されている。

小説の舞台は、表向きはユートピアをうたっているが、家父長制の監視管理体制が徹底されたディストピアキリスト教原理主義に支配されたアメリカ)。『侍女の物語』では最下層に属する一人の女性の視点から、続編『誓願』ではディストピアの先の光として、洗脳から覚醒し連帯していく女性たちが描かれている。

以下の選者独自の「ディストピア三原則」をもとに、小説が読み解かれていく。

  1. 結婚・生殖・子育てへの介入・管理
  2. 知と言語(リテラシー)の抑制
  3. 文化・芸術・学術への弾圧

特に印象に残ったのは、「積極的自由 (freedom to) 」と「消極的自由 (freedom from) 」について。「積極的自由」は何かを実現するための主体的・積極的な自由で、「したいことをする自由」とも言える。それに対し「消極的自由」は脅威から逃れるための受動的・消極的な自由で、「されたくないことをされない自由」とも言える。

「消極的自由」は「自分の意志で選び取った自由とは言いがたいことが多い」として、性産業、代理出産、中絶禁止法における問題を取り上げている。

3. ハーマン『心的外傷と回復』ー上間陽子

選者の上間陽子さんは、沖縄で未成年の少女たちの支援・調査に長年携わっている。2021年には沖縄で、若年女性の出産・子育ての支援シェルター「おにわ」を立ち上げた。

『心的外傷と回復』については、摂食障害に関する本を読んでいるときに知った。そのうち原書に当たりたいと思っていたが、何しろ大著なので先送りになったままだ。ちなみに本作は、現在は「100分de名著」で話題になったこともあり在庫僅少の状態だが、10月に増補新版が出るため現行版の重版は行っていないとのこと。10月になれば手に入るので、高値取引にご注意を。

ハーマン『心的外傷と回復』増補新版 2023年10月刊行予定 (msz.co.jp)

1992年に精神科医ジュディス・L・ハーマンによって書かれた本で、サバイバーの「バイブル」とも言われているらしい。

特に良かった点は、上間さんの体験/経験と絡めることで、この本の言わんとしていることが何倍にも分かりやすくなっていること。(後述の上野パートを読んで、本間パートの分かりやすさに気付いた。)沖縄で性暴力・性虐待を受けた女性たちへの支援を通して、心的外傷研究の流れ、日本のフェミニズムとの関係、回復からの道筋などが示されている。

一番印象に残ったのは、いきなり心のケアをするのではなく、まずは体のケアをするという点。支援シェルターにやってくる少女たちの中には、明らかに体を怪我しているのに、最初は痛がっていない子が多いそうだ。しかし、一週間くらいして落ち着いてくると「痛い」と言い始める。そこから回復が始まるのだとしている。

コラム的なスペースで語られている、「何よりもまずは自分の体の状態をモニタリングできることが大事」「身体は甘く見ない方がいい」「身体が拠点になっている」ということも覚えておきたい。体が回復しないと心が回復しない、というのは私にも多少なりとも心当たりがある。

4. セジウィック『男同士の絆』ー上野千鶴子

選者は言わずもがなの上野千鶴子さん。

まずは、攻撃的でなくて安心した。しかし、他のパートに比べると明らかに難しい。原書が難解なせいもあるかもしれない。引用部分の意味がよく分からない。上野さんの著書『女ぎらいー日本のミソジニー』を読んだことがあるため、まだ理解できた。

本作『男同士の絆』は、『LGPTを読み解くークィアスタディーズ入門』の読書案内でも取り上げられていたので、ジュディス・バトラージェンダー・トラブル』と共に気になっていた。でもやっぱり難しそうなのと、上野さんが解説してくれているのとで、優先度は低めだ。

主張としては、家父長制の社会は「男同士の絆」で成り立っており、そこに恋愛を持ち込み前提を揺るがす男性同性愛者は嫌悪されるし、分配品でしかない女性は部外者である、ということ。同性間の社会的な連携=ホモソーシャル、同性愛嫌悪=ホモフォビア女性嫌悪ミソジニー となる。

印象に残った点を三つ。一つ目は、「弱者男性」と女性の関係。

弱者男性を弱者にしたのは、男性集団におけるパワーゲームの覇者や権力者たちです。男同士のパワーゲームに負けたから弱者男性となっているのに、弱者男性の怒りと攻撃は、ゲームの勝者たちには向かいません。むしろもっと攻撃しやすいところ、すなわち女性に向かう。それがミソジニーです。

二つ目は、詳細は割愛するが、女性のホモソーシャル集団はあるか?女の世界にホモフォビアはあるか?という問いに対する答え。先日読んだ『フェミニズムはみんなのもの』で「レズビアンフェミニズム」について書かれていたが、そのメカニズム的なところが腑に落ちた。

三つ目は、今後の可能性について。選者四名の「特別座談」において、上野さんが次のような発言をしている。

男たちにとって最大の報酬は、ホモソーシャル集団の中での評価。そのパワーゲームから降りられないことが、男性性の核にあるのだと思います。(中略)

私としては、ホモソーシャルのパワーゲームの中に同一化して自分のすべてを投げ出すなんで、はっきり言って、生活者にとっては愚かなことだと思う。バリバリ働いているキャリアウーマンといっても、本当に滅私奉公しているような女性って、私は会ったことがありません。やはりどこか組織に「半身」で関わっている。それが正気の関わり方だと思います。

だから男たちも、半身の関わり方をしてくれるようになればいい。ホモソーシャル集団におけるアイデンティティだけが、自分にとってのすべてではありませんから。私的な世界にもきちんと足を置いて、どちらにも半身で関わるという正気の選択をしてくれれば、男たちも変わるし、ホモソーシャルな集団も変わるし、女性たちも変わっていくと思います。

滅私奉公できず、今は「半身」でやっている身としては、非常に心に染みる言葉だ。自分の周りでは半身の男性も増えているように思う。(もちろん滅私奉公もたくさんいるけど。)

 

最後に二点。鴻巣パートでも上野パートでも、家父長制における政治と宗教の癒着例として、「統一教会」が挙げられていることに時流を感じた。

そして、上野パートの「ホモソーシャル集団に参入していった女性は”名誉男性”になれても、決してフルメンバーシップは与えられず、二流のプレイヤーにとどまり続けるだろう」という部分。この”名誉男性”というのを見て、研修という名のフランス旅行を満喫したという某女性局の面々が思い浮かんできた。利害の一致から男性側と結託し、与えられた特権を乱用している女性、とも言えるか。女性局とは名ばかりで、喜んで二流に甘んじているような言動。そもそもこの国は、首相が三流だと言われても仕方ないような状態だけど。