娘の小学校は今日が始業式だった。先月の終業式のときは寂しく感じたが、今週は自分のことで精一杯だったのであまり気にしていなかった。始まったら考えながら走るのみだ。
この一週間は割と真面目に働いた。最初に動き出すときは手探り状態だし神経を使う。迎える方も迎えられる方もそうだったと思う。それでもやり方がつかめてきて、この先も何とかできそうな感触が得られたのはちょっと安心した。先のことを心配しすぎるのは良くないことを忘れがちになる。
HNKラジオビジネス英語の Lisa&Daniel(今週はEmilyもいた)とは毎朝仲良くしている。在宅勤務のときは、何となくその後のクラシックカフェを聴きながら仕事をするようになった。今年度のラジオ放送プログラムを考案した方々に感謝である。
今週の読書には、田中美津『いのちの女たちへ-とり乱しウーマン・リブ論』を選んだ。
本書を知ったきっかけは、上野千鶴子『〈おんな〉の思想 私たちたちは、あなたを忘れない』という書籍で紹介されていたことだった。上野さんが深い影響を受けた著作を解説しており、そのうちの一冊となる。書店で確認すると、解説:伊藤比呂美、解題:斎藤美奈子 という強すぎる布陣だったため、思わず購入した。それが四年前のことである。そのまま読まずに放置していた。
先週読んだ『日本のフェミニズム』の後半でも本書に触れられていたため、「いまこそ読むときではないか?」と思い本棚から発掘した。
読んでいて面白かったのは、その時代の雰囲気が感じこられることと、ざっくばらんな話しことばで書かれていること。『日本のフェミニズム』にあった以下の考察にも納得だった。
女たちは、自己の感情や欲求を、十分に表現できることばや論理を開発・発見できないままに、多少のもどかしさを感じつつも、男性的ニュアンスを含みこんだ出来合いの言語や論理に翻訳することによってしか、他者とくに男性に対して自己の感情や欲求を伝達することしかできなかった。(p.247)
女性の日常性に密着した用語法は、漢語やあるいはヨーロッパ語の翻訳形ではなく、在来の日本語、とりわけひらがな文化の伝統に親和的である。(p.249)
すでに第二次大戦中に「女の論理」と題するエッセイを発表した花田清輝は、チェーホフの戯曲を引用しつつ、女の論理は「論理(ロジック)」ではなく「修辞(レトリック)」であると記している。(p.250)
要約することが役立つ本(または要約で事足りる本)も多いなか、語り口が独特な本は、あらすじだけより実物を読んだ方が何らか思うところが出てくる。自分に合う合わないも含めて分かってくるのが面白い。