あかねの日記

惰性で続けるブログ

探しものが見つからないとき

夏休み明けの週。鍵盤ハーモニカを学校へ持っていかなければならないと娘が言いだすが、どこにも見当たらない。

結局は学校にあったのだけれど、それが分かるまでは「どこへいっちゃったんだろう…まさか新しいのを買わないとだめなのか?」と一日気がそぞろであった。見つかって安心した。

 

探し始めたときは、そもそも持って帰っていたのかどうかさえよく分からなかった。本人曰く、たぶん持って帰ったとのこと。家の中で見かけたような気がするし、そうでない気もする。それとも見かけたのは春休みだったかもしれない。もういつのことだか区別がつかなくなってきた。

思い当たるところを娘が一通り探し、次に私が探し、最後に夫も確認するが、鍵盤ハーモニカがどこかに潜んでいる様子はない。

登校時刻になったので時間切れ。連絡帳に見当たらないことを書いておく。しかし学校に置き忘れていただけだったので、音楽の授業は無事に参加できたようだ。

 

娘の机の中やその周辺を見てみると、手紙やら工作物やらが溜まっていてカオス状態だった(親目線)。それでも時たま自分なりに整理している様子。娘にとっては大事なものだと思うので、共用スペースに浸食してこない限り管理は本人に任せている。ごちゃごちゃしたのに嫌気が差したら、勝手に断捨離でも始めるだろう。

大事にしているものでも全部は残しておけないし、何でこんなもの取っておいたんだろうと思うようなものも出てくるしで、どこかでサヨナラするタイミングがやってくる。こういうのは説明されるよりも、自分で実感しなければ分からないだろうから。

しかし、私はきっちりしまっていつまでも捨てられないタイプだったけど、娘はごちゃっとしまって暫くしたらあっさり捨てるタイプに見える。

 

探しものをしているときの心境は「まさか無いはずは無い」から始まり、本当に無い→ここに置いたはずなのに無い→他の場所にも無い→見つからないなんて嘘だろ?→何で見つからないんだよお→もっとちゃんとしまっておけばよかった→どうか見つかりますように、と驚いたり焦ったり怒ったり後悔したり祈ったりと、割と忙しい。整理整頓や片付けが好きなぶんだけ、うっかり置き忘れて見つからないと悔しくなる。

私も子どもの頃は「見つからない騒動」を週一くらいで引き起こしていたが、今では月一程度に減ったと思う(書類がどこかに紛れたり、予備のネジが見つからなかったり)。その代わり娘の探しものは増えた。今後は歳をとるごとに、また自分の探しものが増えていくのであろう。