あかねの日記

惰性で続けるブログ

親の好みを推す

今日も穏やかに過ぎていった。

午前中は冬用の羽毛布団を出した。夏用の布団でもぎりぎり大丈夫だったけれど、目が覚めたときに若干スースーして心もとない。羽毛布団のあのボリュームと、適度な重さが恋しい。ということで布団を入れ替えた。夏用の布団とシーツは洗濯。空は快晴、風はすっきりと乾いており、洗濯物がよく乾く。

洗濯を終えたら、本の続きに取り掛かる。しかし、昨日と同じく眠くなってきたので寝ていた。お昼過ぎまで二時間くらい。気ままな生活。

午後はほぼ読書。今日は散歩はお休み。気が付くと午後四時を過ぎており、日は傾いて黄色く輝いている。開けた窓からはひんやりした空気が入ってくる。洗濯物を取り込み、夕食が出来上がるのを待つ間にブログを書く。

 

毎週土曜は娘のピアノ教室がある。レッスンは一人で受けられるが、一人通いにはまだ早いので夫が付き添っている。

レッスン後、二週間に一度は図書館に寄っている。(そこからさらに、二人で買い物や遊びに行っていることも多い。)

ピアノ&図書館に通い始めたころは、文字が少なくてほんわかした感じの絵本を中心に借りていた。そのうち文字が多くてエンターテイメントな本(かいけつゾロリ系)に移行してきた。

基本的に娘が自分で本を選んでいるが、上限の十冊に達していない場合、余った枠は夫がおもしろそうだと思った本を適当に借りている。

娘が選ぶ本は、夫も私も選ばないような本だ。その本を読んでほしくないという意味ではなく、自分のセンサーには引っかからないという意味で。本棚を眺めているときに目に入ってはいるのだろうけれど、自分の興味がそそられる本でないと意識に上ってこない。

夫が選ぶ本も私とはまた違っている。宮沢賢治の絵本版とか、歌舞伎や落語の噺を絵本にしたものとか、深海生物の図鑑とか、野菜の育て方とか。娘は全く興味を示さないこともあるし、大いにハマることもある。深海生物や危険生物の本は繰り返し読んでいた。宮沢賢治はイマイチだったようだ。確かに解釈が難しいところがある。そして長い。絵本になってはいても短編一本分だ。舐めてかかると、なかなか終わらなくて寝る前の読み聞かせに選んだことを後悔する。

夫が選んだ本の中で私が一番「おお!」と思ったのは、『京極夏彦の妖怪えほん』シリーズと『京極夏彦のえほん遠野物語』シリーズだ。知ってはいたけど自分で借りたことはなかったので、喜びもひとしお。絵本コーナーは子どもと一緒のときでないと立ち寄らない。しかし、私が娘と一緒に図書館に行くのは今では年に数回のみだ。

京極えほんを娘に「おもしろいからどうぞ」と推したところ、「こわ~い」と言って読んでもらえなかった。確かに絵は怖い。鬼が出てくるような分かりやすい怖さというよりも、背筋が寒くなるような不穏な空気が全体に漂っている。

そして絵本の情報量はすごい。ぱっと開いたときに目に飛び込んできて、いろんなことが推測できる。どんなシーンや構図がふさわしいのかを考えて、一枚一枚を描き上げるのに多大な時間を費やしているであろう。文章を書くのとどっちが大変かという話ではないが、めちゃめちゃ大変そうである。そうして出来上がった本を自分が手にしているのだと思うと、すごい奇跡のような気がしてくる。

ミキハウスの宮沢賢治絵本も良かった。絵があるとイメージがふくらむ。