あかねの日記

惰性で続けるブログ

ごめんなさいできるかな

一日雨。心なしか空気がじっとり。

午前八時に起床。一緒に娘を起こすと「起こしてほしくなかった。もっと寝ていたかった。」とキレられる。普段は「お母さんと一緒に起きたい」と言いうから起こしてやったというのに、お母さんだって一人でゆっくりしたかったわい、とキレ返す。

それから十分後、朝食を食べ終えた娘が「さっきはごめんね」と謝ってきたので、私も謝って仲直り。一件落着。自分が悪いと思ったらちゃんと「ごめんなさい」できるのは娘の良いところだ。

私の父親は絶対に自分の非を認めない大人げない人間であるので(現在形)、私は子どもの頃に形成された「私は悪くないのだから絶対に謝らねえ」という断固とした姿勢を基本に据えたまま今に至っている。

もちろん自分に非があれば謝るし、相手が非を認めれば受け入れるし、お互いさまだと思えば気にしない。仕事でよく分からないケチをつけられることもあるが、たいていは仕事として割り切れる範疇に収まっている。

しかし、相手が理不尽な言論を押し通そうとし、こちらを舐め腐った態度を取ってくるのであれば、可能な限りの根回しを行い、慇懃無礼さを前面に押し出して反抗する。(できないときは心の中で蜂の巣)

このように「自分が悪くないときは謝らない」という基本姿勢を取っている私にとって、自分の非を認めて謝罪してくれる人というのは、仲直りするきっかけを作り出すだけの勇気と素直さを持ち合わせ、その後の良好な人間関係をももたらしてくれる、ありがたい存在である。

幸い、夫は嫌なことを秒で忘れ、娘は泣いたり怒ったりしても数分後にはけろっとしているので、私も嫌な気持ちを引きずらずに済んでいる。一人で怒り続けるのは難しいし、何より馬鹿らしい。気に入らないことがあると不機嫌になって他人に当たり散らしたり、いつまでも過去のことをぐちぐちと恨みがましく蒸し返してくる家族でなくてよかったと、心から安堵している。私はもっと見習わないとな。