あかねの日記

惰性で続けるブログ

五月が長い、自覚を持つとは

曇り時々雨。一気に湿度が増した。髪がごわごわする。床はぺたぺたする。植物は元気いっぱい。

今週で五月も終わり。たいていの月末は大したことを成さないままあっという間に過ぎ去っていく感があるが、五月についてはそろそろ終わってもいいんじゃないかとウンザリ感が出てくる。東海道新幹線の下りで「まだ静岡か...」てなる感覚と似ている。体感的に長い。ゴールデンウィークが終わり、年度初めの緊張感もすっかり薄れきったところへ31日も持ってこられると、すごく長く感じる。

五月前半のような爽やかさはないし、かといって梅雨に入っているわけでもないし、気候的にも何とも中途半端。早く終わってくれ。

 

私のところに直接害は無かったが、ここしばらくモンスターあるいはクレイマーの発生を受けて対応を相談する機会が重なった。前々から火種はあり、複数方向で同時多発的に噴出した形だが、その火種とはモンスター自身のことだと私は考えている。訴えてやるとチラつかせてきたり、権限以上のことに介入しようとしてきたり、独断で身勝手な行動に走ったり、まあいろいろな人がいらっしゃる。「私のこともっと大事にしてよ~!ぷんぷん!」みたいな感じで激おこである。

共通しているのは、感情的で、聞く耳もたずで、後先考えていないことだろうか。その様子ははたから見ていて滑稽ですらある。この機会を利用してそれぞれが自分の要求を押し通そうとしているが、全くの逆効果にしか見えない。きっとあなたのいる組織ごとなくなる。

解決したいと言ってはいても、お互いの着地点を話し合う気は無いらしい。今自分が良ければそれで良くて、他の人や先の事までにはとても考えが及ばないらしい。法律的にも論理的にもおかしなことを言っているが、気にもならないらしい。「そんなのひど~い!」て感じである。窮地に立たされてやっと気付くのかもしれない。

責務を負っている立場であるにもかかわらず、そういう人もいる。対応を相談する中で「自覚を持ってほしい」と言っているおじさんがいて、「自覚を持つ」の正しい使い方だなと思った。いきなり「自覚を持て」と言われても「そんなの分からん」となりがちだが、いきなり我を通すのではなくて相手の話を聞くとか、他の人の立場も考えて行動するとか、次の世代により良い環境を残せるようにするとか、本人に成長してほしいとか、いろんなことが込められている。そうでない場合もあるけど。